2009年11月   韓国のたび

11月21日(土曜日)  統一展望台

 朝4時出発。4人の仲間とタクシーに乗り合わせ、中部国際空港へ。ここで名古屋の仲間と落ち合い、メンバー5人そろう。うち、2人は一日早く帰国予定、私は一日延ばして全州まで足を伸ばすことになっている。
 今回は、韓国と日本の歴史、特に、日本の侵略の歴史をこの目で見ることが第一の目的、また、韓国の文化にも触れ、おいしいものも堪能したい気持だ。
 12時発の便でソウル、インチョン空港へ向う。2時着。通訳とガイドのキム・スヨンさんと落ち合い、一日目のたびが始まった。
 特別仕立ての私たち専用のマイクロに乗り込んだ。

 スヨンさんの話では韓国の人口は4800万人、その内ソウルの人口は1100万人、インチョンのように100万、200万のソウルの周りの都市に1000万人、ソウルの回りに人口の約半数弱が集まっており、周りは大変な過疎。近代的なのはソウル近辺だけで、格差が激しいという。
イ・ミョンバク首相の、首都圏異動政策は難航している様子。首都を移動しても、格差はなくならないと思うが、スヨンさんもそれには批判的だった。

 今日の見学場所である統一展望台に向う途中、たくさんの高層アパートが並んでいた。
 マンション
 「みんな購入マンションです。韓国では、一戸建ての家は人気がありません。マンションはオンドルなど暖房が完備しています。ソウルの寒さは大陸の寒さ、底冷えはすごい。甘く見ないで。また、韓国は車庫証明が要らないので、車庫をめぐってトラブルも起きるのです。マンションは坪100万くらい。9年か10年働いてローンを組んで購入しています」

 統一展望台
 概要を聞く内に統一展望台に到着。38度線でイムジン川で分断された韓国側に建つ展望台からは、川向こうに北朝鮮が見える。望遠鏡でのぞくと、家々の並びや、道を歩いている人まで良く見えるほどのすぐそこななのに、この川を隔てひとの心が通わなくなっている

 「夏はもやがかかっていてほとんど見えないときが多い。今日は良く見えます」非常に寒い中、北と南の民族の断絶の苦悩を思い、元はといえば日本の侵略が原因であったことを私は深く認識した。

 「私たち民族には何の責任も無い。同じ民族が引き裂かれて、別れ別れの人は今でも400万人います。私の義母兄弟も北朝鮮にいます」
 「ここにくれば合えるという恒常的な面会所がほしい。作ろうとして、韓国からお米やその他いろいろ援助しているが、北は応えてくれない」
 「同じ民族ですからいつかは統一したい。でも一緒になれと言われても、今はできません。北は社会主義、土地も国の所有で、どんなに生産しても自分のものにはならない。だから、いい品はできない。核の問題もある」
 「私たちは、北朝鮮は社会主義国だとは思っていません。社会主義は国がなんでも取上げるのではなく、生産手段を国民の手におさめ、コントロールする権利をもつことではないでしょうか」と言ってみたら「北は異常です」との応対だった。
韓国は最近まで「共産主義」が禁止されていた国、共産主義の理解には、国民的にまだまだ、距離があるのだろう。日本でも、この頃は急速に評価が高くなってきて理解も深まってきてはいるが、「赤攻撃」された後遺症は長いこと皆さんの考えに「こわい」との先入観を植え付けてきたのだから。

 「韓流の成果で、特に中年の女性の韓国に対する考えが変わりました。汚いとか、さげすんで見られていることもあったから」そして「あなたは韓国をどう思っていましたか」との質問があった。

 「私は日本人として、日本が韓国から歴史的に大変大きな影響を受けながら、侵略をし皆さんに耐え難い苦しみを与えた責任を感じています。日本は反省をしなければなりません。しかし、いまだに反省はしていません。長野には松代大本営もあります。たくさんの朝鮮人を強制労働させた。でも、わたしたち国民同士は交流を深め、お互いを理解しあう努力が必要です。日本の学校では、韓国と日本の関係も、きちんと学ぶこともできないのです」
 独立運動の話にも発展し「日本の弁護士さんで、独立運動を応援したために迫害された方がいたそうです」と。
 そこで「共産党の志位委員長は、日本の政党の党首としては初めて、ソデムン刑務所を訪問しました。その時、当時、朝鮮の独立運動を応援する記事を書いた『赤旗』を館長さんにお持ちしました。館長さんは日本にそんな人たちがいたことに驚いていたそうです」
 「私もそんな情報ははいってきていませんでした」
 「そのソデムン刑務所ですが、予定には入っていませんでしたが、ぜひ行きたいのです」
 「そうお聞きしたので、明日行くことにしました。でも韓国には年間230万の日本の観光客がきますが、ソデムンに行く人はその内2万人ほどしかいませんよ」との話だった。

 さて、統一展望台には、北朝鮮から入出した日用品や薬、衣服や子どもの教科書などや、資料のパネルが展示してあり、説明しながらスヨンさんは「いかに遅れているか」「核実験するお金があればどれだけ食料が変えるか」と厳しく指摘をしていた。
 「この非武装地帯は誰も人が入れない。だから、自然の宝庫になっています。ユネスコの世界遺産にとの声も上がっています」
 戦争が作った非武装地帯が・・・と矛盾を感じてしまった。

 帰り、ソウルへの道のラッシュはすざまじかった。行きは1時間でいったところを約2時間かかってしまった。今日は土曜日だった!
 やっとありついたスヨンさん紹介の大衆的焼肉やさんで食べた焼肉は、日本の焼肉とは違っていた。とてもおいしく食が進んだ。
 たれは、梨の汁が入った、薄味でほのかに酸味のあるさっぱりしたものだった。