2010年1月   第25回党大会

2日目 1月14日

 大会2日目。熱海は暖かいと思ってきたら、寒風にふるえました。全国的に寒さが襲っているのですね。寒い中にも「熱海桜」が咲き、家の庭先には花が咲き乱れています。やはり、暖かいところです。

 今日は終日討論でした。

 討論に先立って、来賓の挨拶がありました。来賓は17人、今日は9人の方が御挨拶、午前中3人、午後6人でした。

 中でも経済同友会終身幹事であり、革新懇代表の品川正治さんのご挨拶は、大会決議案そのものを深めるお話で、歴史の発展の確信に満ちたものでした。

 「遅くもなく早くもない絶妙な時期に、今ほどの激動はないときに大会を・・・・ついにやってきたと率直に思う」と切り出した経済界の代表のじっくりと語りかける話には、時代はそこまで流れていると深い確信を参加者に与えるものでした。
 「政治、経済、外交、すべて行き詰まり、ついにやってきたな・・・と。アメリカ言いなり、財界優遇の政治のすべての根っこに反共があった。しかし今、反共がはっきり崩れ去ろうとしている。共産党は国民運動の中心になってきた。革新の立場から出番が来た。国民の期待があり、分析も正しい。しかし、率直に言って、もう一歩踏み込んでもらえないだろうか。
 激動の時代の立ち位置を明確にして、私たちに立ち位置を示してもらいたい」

 討論は34人。皆さんすばらしい実践でした。特に若者の発言が目立ち、心動かされるのもが多くありました。

 京都立命館の学生で入党2ヶ月目、19才の最年少で参加したSさんは、高校生で学費値上げ反対「笑顔の会」でがんばり、大阪府知事とも交渉。
 橋下大阪府知事は府民の立場に立てない人だと思っていましたが、「高校生だからといって容赦しないぞ」「学費が高いならもっと勉強して公立に入れ」「学生はよみかきができればいいんだ」などと乱暴を言意、最後は「政治家にでもなれ」との捨て台詞だったと。これは議事録にある本当のこと。会場から「ひどい!」の声があがりました。
 進学した彼女は、一時期自信を無くし休学しますが、母校の後輩の平和の取り組みに励まされて復帰します。「学ぶことは生きることそのものなんだ」と。
 しかし、高校学費の借金が176万円、今は有利子の奨学金を月12万円借りていて、卒業すると総額900万円の借金を抱えることになる。不安でたまらない。でも、休学中から励ましてくれた共産党の仲間になって、今、希望を見いだしていると言います。

 岩国市議団長の壮絶な基地のたたかいの報告は、沖縄と連帯するたたかいの熱気が会場にも広がりました。
 福岡の市議からは、夜回りでホームレスを救っている実践でした。福岡は餓死者を出した町、相談者を待っていただけではだめだ、こちらから出かけなければ・・と夜回りを始めたら想像に絶する実態だったと。ホームレスだった方々に生保を受けて生活を安定させながら党を作る努力をしてきた。その結果6支部ちゅう5支部が前大会以来倍化、暖かい党作りが進んでいるといいます。

 34人の発言、それぞれが感動で、かききれません。発言を通して私の胸に響いてきたことは、共産党員としての皆さんの真摯な気持ちでした。すんだ青空のようにさわやかで、一生懸命で、人生で一番大事なものは何かを発信していました。

 わが長野県のも2人が発言。小林喜美治飯山市議と矢口長水地区常任委員です。そして明日は、佐久の藤岡君が選ばれたとの報告です。3人が発言できるなんて、すごいことです。

 帰り、赤嶺衆議院議員と同じ車に乗ることになりました。1月3日、沖縄にいったときの話題になりました。赤嶺さんは今日の発言で「正月3日に基地のない長野、海のない長野から募金を持って、中野さん、石坂さんが名護に来てくれました。沖縄と本土と堅い連帯で・・・」と紹介してくださいました。
 「やはり、アメリカの要求は辺野古しかないのです」と語り合いながら、今まで遠かった赤嶺さんが、井上参議院議員と同じように、ぐっと近しい間柄になったことが、最高に嬉しい事でした。
 名護市長選挙は絶対勝利しなければ!!

 鳥小屋ゲージのように窮屈な会場で2日目、足がむくんでくるのを防ぐために、一生懸命指を動かしたり、休み時間は屈伸運動したり・・・大変。
 一日中聞くのみですから、ついつい、チョコや飴をなめながら・・・・こりゃ危険!!