コラム―散歩道

藤野ママとの珍道中

母の熱い思い

 五十嵐さんから突然の相談がありました。彼女は、私の子もお世話になった「かざぐるま保育園」の元園長先生で、やはり保育士であった藤野やすふみ候補のお母さん、登志子さんの旧友でもあります。
 相談の中身は「登志子さんが長野のみなさんに挨拶に来たいそうなの、どうしたらいいかしら」というものでした。
 福岡から飛んで来るなんて、衆議院候補者となった息子のために何か役に立ちたいとの母親の熱い思いが伝わってきました。
 でも長野県は広いし、党として位置づけないと身動きが取れない。そこで「よし、ここは保育や女性の後援会の力を借りて総選挙への勢いをつけるチャンスに」することにしました。
 こうして2月13日から19日までの一週間、藤野ママと五十嵐さんと私の珍道中が実行されたのです。運転、案内は、方向音痴で有名なこの私、ナビが頼りさ!!

信州の女性のパワーだよ!!

 初めは候補者本人ではなくて母親を迎えることに、どこでもとまどいがありました。しかし、さすがは信州の女性のパワーです。全県8地区でのそれぞれ多彩な「つどい」で、女性の風を吹かすことができました。
 藤野ママが通いつめた思い出深い保育合研の開催地、山ノ内で開かれた「つどい」を皮切りに、10人の保育士とのじっくり「つどい」から、50人のみなさんに拍手で迎えられた「つどい」、さらに100人の参加の「子どもの未来を語る会」は手品に寸劇に「内部被ばくの学習会」と盛りだくさん・・・・11箇所で開かれた「つどい」の参加者は346人にのぼりました。
 ご挨拶でお会いした方も入れると、藤野ママの長野での新しい出会いは540人を超えたのです。

藤野やすふみさんのとっておきの話

 母だから語れる話は格別。藤野候補がぐっと身近になりました。ここが今回のキャラバンのミソでした。
 幼少の頃の藤野候補は、とてもやんちゃで、ダメと言われることをやりたがり、入ってはいけないところには入りたがり、好奇心旺盛で何をするかわからない。私は信じられませんでした。まじめで緊張している姿の印象が強かったから、お利口さんだったと思っていました。「そのうち、地が出ますよ」とママ。

寝てしまった子を起こす辛さ・・・

 共働き家庭の子育ては、まさに綱渡りです。藤野さんも同じでした。
 「職場が保育園のとなりだったのに、お迎えはいつも最後。会議の時には夕食のおむすびをもって出かけたけど、寝てしまった子を起こす辛さ・・・。近所のおばさんにもどれだけお世話になったことか、保育園と学童保育で育ててもらいました」
 参加者から「私もそうやって育ててきました。私の子育てもまちがってなかった」「学校からよく呼び出されて、夫とどちらが行くかで夫婦けんかだった」と、胸のつまる話も出てきました。
 子どもの寝顔を見ながら「明日は優しいお母さんになるからね」と涙を落としてきた私たち、「でも、一生懸命働いて助け合って子育てしてきたよね」。
 私も保育園のお弁当の日に作り忘れたことがあります。「お友達が分けてくれたんですよ」との先生の言葉に、「ああ、どんなに切なかったろう。友だちってなんていいんだろう」と先生の優しさに泣けたこともありましたが、どこの会場でも、藤野ママと子育て仲間としての共感が広がり、年配者は「やすふみさんは私の息子のようなもの」と、子育て真っ最中の若い方は、先輩の苦労と自分の生活を重ねて、話に聞き入っていました。
 どこでも「子どもがちゃんと育つ政治を!」と、政治革新へのエネルギーもあふれた「つどい」になりました。

「ウルトラマンなの?」「そうだ!」

 藤野候補のお父さんは教員でしたが、40代後半で退職し市会議員に出馬したそうです。残念ながらバッチはつけることができませんでしたが、県議や参議院補欠選挙などで候補者としてずっと活躍してきました。
 候補者を引き受けるのは親の生き方です。しかし、幼い子には「別な人格だ」と飲み込めないことだし、巻き込まれてとばっちりも受けます。
 藤野候補も同じでした。「いじめ」が適切な表現かどうかは別として、辛い思いはたくさんあったようです。お兄さんは円形脱毛症になったと聞きました。
 傑作はお父さんの対応でした。各論には触れず「共産党は正義の味方やから。大丈夫」と総論でまとめたそうです。藤野候補も「じゃ、ウルトラマンなの?」「ウン、そうだ!」。
 太っ腹ですねえ。私も、最近になってやっと、私の候補者活動で娘たち、特に下の子が辛い思いをしていたことを知りました。鈍感な親でした。でもその時知っていても、私は藤野パパのように「デン!」と振る舞えただろうか?と疑問です。

これが信州の底力!!

 藤野ママは「長野の底力!」に感動していましたが、私は「ドキ!」。「これが信州の底力だ!」と胸がはれるようなたたかいをしなくては!と思ったことです。

       (2012年3月1日  記)