コラム―散歩道

帰るところ

「とんび」

 テレビでいいドラマを見ました。父親と子の絆の物語「とんび」です。舞台は広島。主人公の父親、通称安さんは運送会社で真っ黒になって働く労働者、酒好きで短気で一本気。安さんは幼いころ、再婚した父親に棄てられて両親の愛を知らない。だから恋女房とのくらしが何よりの心のよりどころ、その上子どもができてしあわせの絶頂だった。名前は「小林旭」から取って「旭」。ところが2才になる旭を救うため、女房は崩れてきた荷物の下敷きになって死んでしまう。絶望から立ち上がり、男手の子育てが始まる。不器用で荒々しくもいちずな子育てが心を打つ。中学生になった旭は、野球部の後輩をいじめていた。父親の態度は圧巻だった。
 理屈は言わない、真正面からぶつかってゆく。ふてぶてしく反抗する旭だったが外圧からは徹底して自分を守ってくれる親の姿に、自分のしたことの重大さを知り、父の愛の深さに涙する。
 旭の育ちを見守ったのは、安さんの職場の仲間や人情厚い近所の住人の絆だった。映画「3丁目の夕日」と同じ時代だ。
 安さんは、母が死んだのは自分を助けようとしたためだと旭を守ってきたが、大学進学で故郷を去るとき、旭は真実を知る。やがて結婚した旭は、「孫もできるし、東京で一緒に暮らそう」と父をさそう。このときの安さんの言葉は、「これが親の役目なのだ」と思わされるものでした。
 「わしはここにいる。わしはおまえの故郷じゃ。辛いとき帰って来るところがなくてはいけんじゃろ」。

中島みゆきの歌

 中島みゆきは不思議な声の持ち主、歌によって全く違う発声をし、自由自在に歌いこなす。詩もなかなかいい。私はけっこう、ファンなのであります。
 「誕生」という歌に、こんなフレーズがあります。

「ふりかえる暇もなく 時はながれて
 かえりたい場所が またひとつずつ消えてゆく
 すがりたいだれかを失うたびに 
だれかを守りたい私がいるの」

 この歌をきくと、父が亡くなったときの気持ちがよみがえってきます。
 父が死んだ年は80才、私が35才の時でした。あの時私の胸に、いいしれぬある種の不安感が湧いてきたのです。
 私は大学入学と共に父母との同居に終止符を打ち、経済的にも親に負担をかけないように暮らしてきたつもりだったし、働き始めて自立してからはなおさら、自分では父を頼って生きていたなんて微塵も考えていませんでした。若さは自信を過剰にさせ、時には傲慢にもさせるものです。
 だけど私は父が心の杖だったことを実感しました。湧いてきた不安は、単なる父という個人の存在だけではなくて、父を通して父の世代が目の前から消えてしまったような心もとなさからだったのだと気づきました。
 自分たちが時代を担わなくてはならない立場になったのだと、責任がのしかかってきた思いでした。
 こうして大事なものを失うたびに一皮も二皮もむけて、自分が「帰りたい場所」「すがりたい人」になり、だれかを守る存在になっていくのかなと、歌を聴きながら思います

故郷

 「とんび」や「誕生」は辛いときに帰りたくなる「故郷」を思い出させます。自分を丸ごと受け入れてくれる場所です。
父母はもとより、近所のおじちゃんやおばちゃんもオムツの時代から世話になっているのだから、かっこつけても始まらない。幼馴染は学歴だの出世だのそんなことは無関係でじゃれあった仲です。すでに縁者がいなくなったとしても、故郷はそういうところ、自分のルーツに戻れるところです。
 私も故郷に帰りたいと思うこと、しばしばです。故郷の山も川も街並みも、人と結びついた思い出があるから、いっそう美しくいとおしいのです。
 その私の故郷が、昨年の3・11以来、変わり果ててしまいました。もうすぐ一年経とうとしているのにいまだに無残な姿のまま、生業すらおぼつかず、今日を生きることで精一杯の方も大勢います。
 まして福島県民は、故郷をも捨てなくてはならなかった。「帰りたい場所」が「帰れない場所」になってしまった。その上、内部被爆の不安を背負わされて。そのせつなさ、悲しさ、悔しさは、お金を億と積まれても決して代償されるものではない。その補償のお金さえ出し惜しんでいる東電と政府の罪深さよ。
 震災復興のため全国規模で取り組まれた支援は、「とんび」でみた職場や隣人のあたかい絆の全国版でした。「絆」の文字が選ばれたのは、人の値打ちは「他人の苦しみをみてだまっていられない」ことにあると、私たちが再確認したからだと思います。
 今国民は、もはや失望しか与えない政権党は価値がないと品定めし、怒りのマグマをグツグツと煮えたぎらせています。震災を通して本性がわかった。自民党以上に自民党政権ではないかと。
 私は一日も早く、復興した私の故郷に帰りたい。そこは私のルーツですから。衆議院選挙での共産党の勝利はその確かな保障なのだと、心に刻んでいます。

              (2012年2月1日 記)