コラム―散歩道

11年目を迎えたエッセイ連載

「民主長野」へのエッセイ連載が、11年目を迎えました。実は丸10年まであと1年と思っていたところ、それは勘違いでした。最初の2年余分をまとめて出したエッセイ集「時計の下のあかずきんちゃん」を何気なくめくったら、2002年の1月が最初の作品だったのです。

そもそも事の始まりは

 エッセイを書くことになったそもそもの始まりは、当時の「民主長野」の編集責任者に「季節の行事のことをエッセイに書いてみないか」と頼まれた事でした。「できるかなあ」と不安に思いながらも「お雑煮」「節分」「雛人形」・・・と、月々の行事をテーマに書きました。1年たったら今度は心のままに書き綴る事になり、あっという間に10年です。

何を書こうかな

 原稿の締め切りは月末、20日を過ぎると「今度は何を書こうかな」と頭の片隅にテーマ探しが住み着きます。締め切りが迫っているのに決まらないと、ちょっとあせる。でも、考え込んだからといって浮かぶものでもないのです。心に残る出来事に出会うと、「あ、これにしよう!」とパっと決まってしまいます。難所が過ぎればあとは書くだけ、できた文を少し寝せて、誤字脱字、言い回しの点検をします。「今月も間に合った!」と、こうして何とか10年、切り抜けてきました。「気張らず、気取らず、ありのままに」気楽に書いています。
 今ではエッセイ書きは私の楽しみです。仲間と時間に制約される「合唱団」「山登り」は、仕事との兼ね合いがつかずだんだん遠のきました。ちょっとした時間に一人でもできることが生き残りますね。草花のスケッチもそうです。これも新しく見つけた楽しみです。

仲間とつながる喜び

 昨年の12月18日の「これからの日本を語る夢のビッグ鼎談」は1800人の参加で大成功でした。受付係だった私にたくさんの方から予期せぬ声がけがありました。「民主長野」の読者から12月のエッセイ「親父」の感想でした。「読みましたよ。いい文章だった」「泣けました」「毎回楽しみにしていますよ」と、一人や二人どころではなく次々とだったので本当にびっくりしたし、たくさんの方に共感していただいた喜びで私の心は揺さぶられました。
 こうした行く先々での感想や励ましがあってこそ、10年続けてくることができました。私のつたない文章が「民主長野」やブログの橋渡しで人とつながる。こんなに嬉しいことはありません。何事も、人とつながってこそ値打ちが増すものですし、このつながりは私の宝です。

小さな3つのオルゴールとエッセイ

 2年前、中学の同級生のKさんが小冊子を贈ってくれました。退職を機に書いた、自分史のエッセイでした。私はKさんがなぜ子どもを生まなかったのか、そのわけをはじめて知ったし、なぜおばあちゃんに育てられていたのか、中学以来の疑問もやっと解けたのです。
 Kさんはお母さんに捨てられたのでした。違う男性と何度も家出を繰り返したお母さんは、最後には新しい相手の子どもを宿し「おばあちゃんのところへ行きなさい」と手紙を残して家出、それっきりになりました。
 Kさんは「自分にも母と同じ血が流れているのではないか」と恐れました。非科学的であれなんであれ、彼女の心がどんなに傷つけられ、トラウマになっているかを物語っています。ご主人も彼女の気持を理解してくれたのでした。
 わが家の子どものものだった本棚に、かわいいお人形のオルゴールが3つ並んでいます。曲は「キラキラボシ」「ロンドン橋おちた」「ドレミのうた」です。赤と緑のチェックの洋服も帽子ももうすっかり色あせていますが、メロディはしっかりと奏でてくれます。
 27年前、地附山地すべりで自宅がつぶされてしまった時、Kさんが3人の娘に送ってくれたものなのです。お人形の顔は、シュナイダーの人形にも似て、嬉しい時、悲しい時、その時々の子どもの心を受け止めるように点の目で表情を押さえてあります。
 大変だった被災生活の時、3人のお人形オルゴールは子どもたちの心を和ましてくれました。
 彼女のエッセイを読んで、このオルゴールを選んでくれたKさんの気持が初めてわかった気がしました。食べ物や寝具や家財道具などの必需品ではなく、なぜ3人の子どもにそれぞれのオルゴールだったのか。
 久しぶりにねじを巻いて聞き入りながら、たくさんの子どもたちの心の痛みを思いました。福島の子どもたちや、ベトナムで会った麻薬や売春の犠牲になったストリートチルドレンも思い出し、全ての子どもたちのしあわせを願いました。
 Kさんとは、中学卒業と同時に彼女が故郷を去って以来、音信不通でした。日比谷公園での全国集会で40年ぶりの再会を果たせたのは、私が国政選挙の候補者になって新聞報道されたことがきっかけでした。彼女は苦労して看護士になり、民医連に勤め、共産党員として大活躍していたのです。彼女のエッセイで、私はさらに彼女と接近できたのでした。
         (2012年1月1日 記)