コラム―散歩道

親父

「カーネーション」の親父

 「親父」と言う言葉は「父親」をひっくり返しただけなのに、なんとも人間くさい不思議な響きがあります。私は今、テレビの朝ドラ「カーネーション」にはまっています。特にあの「親父」に。
 家族には頑固丸出しで、時には怒鳴り散らし物を蹴飛ばす父親だけど、娘が落ち込んだ時、心配で仕方ないのに素直に表現できないかわいらしさ。嫁さんの実家には頭が上がらず、商店街の仲間には友情と人情が厚い父親。
 糸子が自分の店を出すときの親父とのやりとりの場面は、見せ場でしたね。
 「自分の店を出させて」と願う糸子に「ずいぶん偉くなったもんやな!」と怒鳴る父親、「おとうちゃんが酒ばかり飲んでいるうちに偉くなったわ。家を支えているのは私や!」と口答えする娘のほっぺたを張り倒す父親。
 しかし、父親はけじめをつけました。はやらなくなった呉服屋の看板を降ろし、おばあちゃんと糸子だけを残して、新しい職場の質屋に引っ越してゆく。糸子は仕事から帰って始めて知る。誰もいなくなった家には、「小原洋裁店」の新しい看板が・・。そして「娘に食べさせてもらって、お父ちゃんがどんだけ辛かったか」を初めて知って糸子は号泣する。このとき「父親」が「親父」になったように思います。
 飲んでばかりで不甲斐ないと思っていた父親のこころの痛みを知り、独りよがりから脱してゆく娘の姿がいい。

甥への応援歌

 私には20歳になる甥がいます。弟の子です。彼は今、自分らしい人生の第一歩を歩き出したのかもしれません。
 彼は中学校で不登校となり、荒れて暴れて、自信をなくした生活を送っていました。一応中学は卒業となり、一人川崎に働きにでましたが、15歳やそこらで知り合いが誰もいないところで仕事も始めて、不安だらけで当然です。遅刻したり無断で休んだり、果ては世間知らず故だまされて友人の借金を多額に背負い、仕事も転々とし、「この子はどうなってしまうのだろう」と誰もが心配しました。
 11月のはじめ、私は福島県議選の応援に入り、その帰りに足をのばして実家の石巻へもいきました。甥は、力尽きて帰ってきていました。
 私の弟は腕の良いパイプの電気溶接工です。石油コンビナートなどの仕事で、何十年も全国を回り出稼ぎをしていましたが、震災で破壊された東北のパイプラインの仕事が増え、しばらくは自宅から通えることになりました。やっと4人家族で過ごせるようになったのです。
 甥は、父親の職場に見習いとして入ることが出きました。もともと、甥が最初に入ったのは電気溶接の職場だったのです。
 朝5時に父親と一緒に出勤して、家賃が浮いた分借金を早く返せると一生懸命はたらいています。仕事が終ると毎日、父親に溶接の特訓を受けているそうです。
 その甥が私に言いました。「職場ではお父さんはすごく仕事ができて、みんなから一目置かれているんですよね。お父さんがこんなにすごい人だとは思わなかった。仕事の時はいつものお父さんと違って厳しい。特訓も厳しい。今はお父さんを尊敬しています」
 甥が「親父」と呼ぶのも、もうじきかなと思いました。
 弟もかつて高校を中退し、ひとり清水へ働きに出て、亡き父親にさんざん甘え、しかし電気溶接一本で生きてきた、息子の「大先輩」です。
 一人前の職人になるための回り道と「親父」の存在は、甥の宝といえるでしょう。二人が経験した苦労は、「とてもかなわないところがある」と私は率直に思っています。
 しかし、余計な苦労はしなくてもいい。大阪知事選、市議選で「維新の会」が勝ちました。彼らが進めようとしている「教育改革」は、不登校にとどまらず子どもの生きる力を根こそぎ奪うことにつながります。甥の成長を応援しながら思うことは、子どもから笑顔を奪わない政治の前進です。ファッショを許してはならない。これからがたたかいです。

私の親父

 私の亡き父は体を動かすことをいとわず、真っ黒になって働く人でした。私が大学生の時、機械に挟まれて右腕をなくしました。父は救急車の中で、「遠くではががあ(妻)が困るから○○病院に行ってくれ」と病院を指定したそうです。母が子宮筋腫で入院手術した時は、母が落ち着くまでの3日間、なにも食べなかったそうです。教員で働き始めたばかりの私を気遣った母に「手術のことは知らせるな」といわれ、一人気をもんでいたのです。
 いつもは亭主関白、傍若無人に見えた父の思わぬ姿に、私は「親父」を感じました。そして無年金者だった父が「障害年金がもらえたんだから右手一本は安いものだ。まだ左手がある」とその後の人生も気丈に生きた姿は、私が共産党員として生きる真髄を教えてくれたのです。
 貧乏は恥ずかしいことではない。政治がつくりだしたことなのだ。「親父」は、60半ばになろうとしている私になお、共に寄り添ってくれる、頼もしく乗り越えがたい存在です。

     (2011年12月1日  記)