コラム―散歩道

原発ゼロ、省エネ社会にしなくっちゃ

優れもののお米

 私の誕生月は5月、田植えのさなかに生まれたので「早苗」と名づけられました。やがて実って人の役に立つようにとの願いをこめてつけてもらいました。1万年近い歴史を持つ稲作の苗の名前ですから、いつも「なかなか重みのある名前をつけてもらった」と思っています。
 日本のお米は世界のお米の2割を生産するジャポニカ種ですが、そのほとんどが日本で作られています。おいしいお米はご飯が冷えてもおいしい。ご飯だけでお替りできてしまうから要注意です。
 お米はどんなおかずもマッチする優れもので、和洋中華なんでもござれと引き受ける、堂々たる風格です。まさに世界の主食の王様と言っていいでしょう。粒ゆえゆっくりとエネルギーに変わるので、粉物よりもずっと腹持ちがいい。ダイエットに最適です。それに栄養価でも優れもの、とくにたんぱく質は必須アミノ酸9種類のうちリジン以外の8種類が含まれており、質が高い。米にはないリジンをたくさん含んでいるのが大豆製品です。だからご飯と味噌汁、納豆、豆腐、油あげなどの組み合わせは、必須アミノ酸がほとんど取れるため、高く評価される伝統食なのです。

朝ごはん、食べていますか?

 ある日の保育園での子育て相談で、若いママから質問です。「朝ごはんはご飯と味噌汁だけでいいですか」「立派ですよ、お母さん」。
 ご飯を炊くだけでも立派です。両親の労働条件が厳しくて、朝ごはんを用意することさえ困難をきたしている家庭が少なくありません。
 「どうして朝、食べなかったの?」「ママが起きてくれなかったの」保育園の子どもとこんな会話もするときがあります。見かねて保育園で朝ご飯をあげている場面もありました。
 ご飯に味噌汁だけでも大いに上等、パンをかじるだけでもいい。でも、饅頭とかバナナ、プリンを食べてきたと聞くと「うーん」とうなります。「どうせ用意するならパンと牛乳にしてね」と。
 朝ごはんの有り様は、労働条件や食文化のとらえ方、或いは子どものだだこねに負けて、好きなものを与えてその場をやり過ごしている親の姿もあって、なかなか深い課題です。
 仕送りも無くアルバイトで明け暮れする苦学生が「朝抜きで一日2食。学生食堂より安いスーパーの250円の弁当で2食分」との貧しい食生活を語ってくれましたが、どの家庭にも根っ子にあるのは貧困です。

朝ごはんは健康の試金石

 朝ごはんを食べない習慣の一番の原因は、夜型の生活を強いられているからです。10時、11時に夕飯を食べるようでは、朝起きるので精一杯、おなかもすかなくてあたりまえです。大人が夜型だと、当然子どもも引きずり込まれます。
 私は、子どもが満足に朝ご飯すら食べることができないようでは、日本も先が危ういぞと深刻に思っています。家族揃って食事もできない社会は異常なのだという認識さえ、奪われてはいませんか。
 しかも、朝ごはんは健康の試金石です。朝ごはん抜きでは、意欲的に遊べないし満足な仕事もできるわけがないのです。
 昼に経験したことを脳に記憶する作業は、実は夜寝ている時間に行われており、レム睡眠とよばれる眠りがその役目です。だからレム睡眠の時は代謝も激しく脳波も起きている時のような波長になり、非常に多くのエネルギーを使っているのです。
 ところで、大脳はでんぷんエネルギーしか使わない特殊な場所です。私たちの体には、夜に備えて昼間食べた物のでんぷんをグリコゲンに変えて肝臓に貯蓄する働きがあります。これがレム睡眠の時のエネルギーとなるのですが、貯蓄には限界があり大人で約60グラム、一晩で使い切ってしまいます。つまり朝は、大脳を働かすエネルギーはほとんどゼロの状態なのです。
 レム睡眠と、もう一つのノンレム睡眠、これは人間らしさをつかさどる大脳の皮質を守り育てますが、この出現は早寝早起きの習慣で一番良いパターンで出てくるのです。
 どうです? 健康で賢い子を育てるのは、「よく寝て、よく食べて、よく遊ぶ」こと、昔の人の言葉にはちゃんと理屈がある。そして朝はご飯にみそしるだったら、最高です。

家族で朝ごはんは省エネ社会

 福島原発事故のあと、「原発撤退で、自然エネルギーに転換しよう」と世界のさまざまな国で大きく舵を切りはじめました。ドイツもイタリア、スイスも。原発王国のフランスでさえ、世論調査では国民の圧倒的多数が「原発撤退」です。
 エネルギー政策の転換とともに、「省エネ」にも努力が求められます。私は、省エネの根本は、労働条件の改善だと思っています。人間らしく働き家族と共に食卓を囲み、24時間コンビニは必要のない生活、夜通しのチカチカネオンの代わりに星空が見える社会。
 今、原発撤退と人として当たり前の生活を求める世論をもっともっと大きくしていけば、日本の異常な政治の転換が具体的に見えてくる、そう思いませんか。
      (2011年 7月 28日 記)