コラム―散歩道

雑巾雑考

温泉宿のタオル

 ホテルのタオルはけっこう上等なものを使っているけれど、手に余って扱いにくいものも多いです。それに比べて温泉宿に備えつけのタオルは、両手でキチッと搾り切れる絶妙な厚さです。ありがたいことにこちらは持ち帰っていいので、私はいつも遠慮なくいただいて、布巾に変身させます。
 ところが、スーパーで、布巾が破格な値段で売っているではありませんか。10枚で300円。「1枚30円なら、夜な夜な一生懸命チクチクと針を運ばなくても、買ったほうが楽じゃない」と一瞬思いました。それで10枚買って使ってみましたが、薄すぎるし、直に吸水力はなくなるし、使い勝手が悪いのです。
 やっぱり、チクチク縫わなくっちゃ。ミシンでやれば早いけれど、手縫いのほうが絶対柔らかい。何かの折にいただいた厚めのタオルは、半分こにして2枚作ります。

木綿往生

 新しいタオルを縫ったものは、最初は布巾として活躍してもらい、そのうち台布巾になり最後は雑巾として働いてもらっています。使い古しのタオルは、最初から台布巾や雑巾に。
 昔、雑巾は、木綿の布を大事にして最後まで無駄にしないようにと刺子にして使ったもの、継ぎあての重なった着古した着物をさらに大切にしたのですね。幼いころ、家で細かい運針の縫い目だらけの雑巾を使っていたことを覚えています。布が貴重品だったことが良くわかります。今なら、捨ててしまいそうな痛んだ布でも最後まで大事にしました。
 民芸運動にかかわった元倉敷民芸館の館長の外村吉之介さんの言葉は、雑巾哲学、心に染みいります。
 「木綿は人に優しく、最後は雑巾として仕え役割を終る。人の生き方そのものである」これを「木綿往生」と言うのだそうです。
 「雑巾として終える」人生って、 最後まで誰かのお役に立つ生き方をしなさいと言うことかしら。しかも着物だった時とは違い、我が身を汚してまわりの居心地を良くする仕事、それで捨てられたって本望じゃないか。いとわずにできるようになれ、ということかなあ・・・私はそんな風に考えました。

 若いお母さんの間では、学校に持っていく雑巾を買うべきか、縫うべきか、迷う方が結構いると聞きました。
 私ですか?一応、子どもの学校の雑巾は自分で縫いましたが、今の親御さんは私の子育て時代よりも、時間と心のゆとりを奪われたくらしを強いられた社会環境にいます。だから発想も違ってきて当然です。雑巾を縫う時間があるなら、子どもと接してやりたいとか・・・。1枚30円で買える雑巾に見出す価値と「木綿往生」とが、交差します。

浄巾

 雑巾は「浄巾」が語原だということです。禅宗の言葉です。お寺や仏像をきれいにする布だから、こう呼んだのでしょう。禅宗は、精神鍛錬の作業として、掃除を大事にしていますね。早朝のお寺と、雑巾がけをしている修行中のお坊さんの姿は一枚の絵です。
 お釈迦様も「掃除の功徳」を説いていました。
一 自分の心が清らかになる
二 他人の心が清らかになる
三 この世の全ての存在が生き生きする
四 すっきりと美しい行為の種がまかれる
五 死後必ず天上に生を受ける

 なるほど、雑巾は「浄巾」、こんなにすがすがしさにあふれた物だったとは、あらためて感心します。

祖祖母と雑巾

 私の母は一三人家族の嫁として、寝る間もなくクルクルとよく働いた人です。母は祖祖母に仕えたできた嫁だったと親類中に評判で、たとえば、昼に食べ残したすいとんを、夜遅くになって祖祖母に欲しいと言われた時、大勢の家族のことだからすでになくなっていても「はい」と言って新たに作ってあげたくらいの人でした。
 105才まで生きた祖祖母は、時代の流れで落ちぶれたとはいえ廻船問屋のかくしゃくとした女将でしたから、大変きつい人でした。しかし、晩年は母をしっかりたよりにして暮らすようになりました。
 父はずっと立派な人であったわけでなく、ご多分にもれずいろいろありました。そんな時、祖祖母は「あんたは心配することはござりん。いざとなったら喜一郎(父)を追い出すから、でんとしてござっしゃい」と言った一幕もあったのです。
 その祖祖母が、人生最後までやった仕事が「雑巾縫い」でした。「千代さん(母)は忙しくて雑巾を縫う暇もない。千代さんが一生使うくらいの雑巾は、私が縫っておいてやる。少しでも楽させてあげる」と、身体が思うように動けなくても、手だけは死ぬまで動かしていました。
 祖祖母はある朝、いつものように母の「今顔を洗う水をもってきますからね」の言葉に「はい」と応えて、母が洗面器をもって戻ってきたときには、息が絶えていたのです。まさに大往生でした。
 雑巾は、行李にいっぱいになっていました。 母は、その雑巾を学校に寄付しました。「百才を過ぎた年寄りが縫った雑巾です。子どもたちに使ってもらいたい」と。
 祖祖母は、きっと天上で生を受けたのではないか、と私は思います。

           (2010年 9月4日  記)