コラム―散歩道

3年日記とちまたの弁当作家

娘からのプレゼント

 昨年末に、娘から「3年日記帳」をもらいました。娘夫婦がそれぞれに買ったそうですが、とても書き続けられないと判断し、「1冊に交代で書くことにしたから、余った分をあげる」と言うわけでした。
 さて、もらったもののどうしようか。私はブログも書いているから二重になるし・・・。でも、けっこう立派な日記帳だから、使わずにおくにはもったいない。夫は夫で日記帳を持っているから、無用だし。
 考えあぐねて「あっ、そうだ!! これだ!!」と思いついたことは!

弁当日記

 「弁当日記にしよう!」何と言ういい考えだろうと、この発想は自分でも大変気に入りました。夫と結婚してから35年、うち仙台と千葉に別居していた2年間を除いての33年間、朝、自宅にいる限りは必ず作り続けてきた弁当だけど、食べてしまえば「おいしかったね」「辛かったね」「甘かったね」などと言う感想以外は何も残らない。
 「何が入ってたっけ。患者のことを考えながら食べたから忘れた」といわれた日には「あの労働はなんだったのか」とがっくりです。
 「毎日のご飯作りは一番根気のいる仕事、淡々とこなしている女性はすごいよ、ご飯のほかにお弁当だよ。記録しなくては」と、自分への応援歌、自画自賛の日記は始まりました。正月のおせち料理が出発でした。

記憶あそび

 描き始めて丸と7ヶ月たちましたが、今のところ、家にいる日は欠かさず書き続けることができています。「私って、意外と根気があるじゃないの!」なんてここでも自画自賛です。
日記は枕元においておき、寝る前にベッドの中で書きます。実は、これがなかなかいい作業であることに気がつきました。
 朝に作った弁当の中身を、夜に思い出すという、記憶あそびです。簡単そうに思うでしょう?ところが、そうでもないのです。やたらといろいろと詰め込むものですから、今のところはほとんど思い出せるけど、それでも時々「うーん、あと何を入れたっけ・・・」と考えるときがあるのです。
 数年後にはどうなることか。だから、これは物忘れ防止の効用がある!そう勝手に思い込んだら、いっそうサボらずにやるようになりました。
 パソコンを使わず、文字を書く仕事が必ずある、これはとても貴重。ボールペンは水性。油性のボールペンは、のりが悪くて字がだんだん乱暴になる。私の書いた字、あとで読んで、なんて書いたのか自分でもわからないときがよくあるのです。水性は紙に吸い付くようにインクが乗るので、字がきれいに見える。ちゃんと書こうという気になります。小道具って大事ですねえ。

3年日記の値打ち

 同じ日が三年分、三段に組まれているので、昨年と一昨年の「今月今夜」、どんな弁当を作ったか、一目でわかるようになっているのがいい。「ああ、3年間代わり映えしないな」と、思うかもしれないけど。
 家族の誕生日などの記念日は、「去年は散らし寿司だったんだ」とか「ケーキは娘が買ってきたんだ」なんて、きっと参考になるだろうし、お正月の御節料理は、人気度合いもしっかり書いておきましたから、来年はその評価表を見て、止めるもの、少量に抑えるもの、これは必ず、また新しい工夫をと、考える材料になるんじゃないかな。
 新作料理に「ニュー」と記して、作り方のメモもちょっと書いておけば、これがまたいい。

 弁当も食事も、作れば喜んで食べてくれる人がいる、これが疲れていても作ってしまう意欲の源。娘たちが「何か食べさせてちょーだーい!時々うちのご飯が食べたくなる」と飛び込んでくるときは、「忙しいのに、もう!」とも思うのですが、だけどそれにも増してうれしいです。
 娘から「切り干し大根煮たけど家の味と違う。どうやったらいいの?」なんて電話が来ると、「お袋の味か、うれしいなあ」とちょっと胸がくすぐられます。
 それに料理は、買物から始まって手順、段取りがあり頭の良い体操です。それに一番感覚の敏感な手指を使う作業なので、料理は最高のボケ防止作業なんですって。
 3年日記で、いっそう頭に磨きがかかるでしょうか、それは???

 さて、「弁当は美術品」、ふたを開けたら「わっ、きれい」「食べたい」と思ってほしい。だから彩りやつめ方が命です。それで毎日、完成品を写真に撮って保存しているのです。何のために?意味ないね。自画自賛の世界です。夫は私を「ちまたの弁当作家」と言っています。ホームページに公開しようかなあ・・・。
ドッペン。
           (2010年 8月10日 記)