コラム―散歩道

忘れっぽい人

物忘れは自然の現象

 このごろ、ずいぶん忘れっぽくなってきたように思います。特に人の名前が思い出せない。「ああ、顔は浮かんでくるんだけど・・・ほらほら!あの人!」という具合。珍しいひとならいざ知らず、よく知っている人の名前を思い出せないときは、かなりショックです。こんな風だから「大事なことはメモを取る」これは習慣になりました。
 まだ30代の頃、職場で定年間近な同僚の「仕事のミスが無いように、メモはしっかり取るの。忘れっぽくなってね」との言葉を聞き流していましたが、まさに今、その気持ちが分かるようになりました。物の本で「老人性の物忘れは自然の成り行き・・・まず名前から・・」との文を読んで、ほっとしたりしているわけです。
 「あれ、俺、いつもの薬飲んだかなあ」と夫が言ってます。「あ、わたしだけじゃない、フフフフ」と連帯感を感じて嬉しくなったりします。

忘れることも悪くはない?

 私の母は、しっかり者でした。母が一切を仕切っていなければ、家計はおろか家族の関係も崩壊していたことでしょう。母はしっかりしているうちは自分にも他人にも厳しかったのですが、身体が動かなくなり、何でもできた自分が何もできなくなったことのギャップが受け入れられず、ひどい頑固者になって、うつっぽくもなっていました。
でもとっても忘れっぽくなって、今は二日間と記憶が持続しないときもあります。孫にあったときはしゃきっとするし、とっても楽しかったことはしっかりと覚えているのですが。
 母は忘れっぽくなったことで、陽気になりました。嫁姑の確執もどこかへ行ってしまったようです。「今」に生きているのかなと思います。悲しい事だけど、ほっとしたのも事実です。私はどんなおばあになるのか、ケセラセラ。なるよいにしかならないワイ。
 忘れることも悪くないと、今は思っておきましょう。

忘れたふり

 毎月1500万円の「子育て手当」いいですね。私だったらたとえ1500円でも決して忘れはしません。だって親の年金の額を考えれば、涙が出るほど嬉しいではありませんか。でも、あの方は「覚えていません」。しかし「秘書に任せてきた」といしてきた資金管理に自分が関与してきたことが明らかになって、どうも忘れたふりはうまくいかないものです。
4億円の大金を動かしても「秘書に任せてあるので分かりません」。この方の場合も、土地購入資金の原資は明らかにしないまま出所のお財布は二転三転し、やはり忘れたふりで一貫性を貫くのは難しいものです。さらに、長野県知事までも西松建設が献金を渡したと証言しているのに「知りません」
 暮らしてゆく上では、時に「忘れたふり」をすることで、人との関係がうまくいく事は、ままあります。
 でも、政治とお金問題での「忘れたふり」は、これは国民との関係を悪化させるだけ、私たちの税金が還流している問題につながるのですから、「わすれたふり」につきあうほど、私たちはお人好しではありません。

忘れられてはならないこと

 決して忘れられないことも、人生にはいくつもあります。でも、年配の方の戦争体験の記憶は、忌まわしい思いでとして強烈に脳裏に焼き付いてる「忘れられないこと」だと思うのです。これだけは別格です。
 「弟がニューギニアで戦死した。おそらく餓死だろう。60年も前のことなのに記憶は決してあせることはない」
 「満州から引き上げてくる時に我が子が目の前で殺された」満蒙開拓の悲劇。
 「被爆者であることを隠し通してくらしてきた」方たち。
  そして沖縄戦では「死んだ幼子の横で石に抱きついて出産した」母親の話・・・見聞きして追体験をするだけで、人権破壊がまかり通った恐ろしい時代に戦慄が走ります。
 「聖戦」はアジアの人々に筆舌につくせない蛮行を行ってきました。
 中国と韓国を訪れたとき、私がそこで聞いた話しは、アジアの人にとっては忘れられない侵略者日本への記憶でした。中国では、日本が大陸侵略のきっかけを作った柳条湖事件の起きた9月18日を「決して忘れない日」と位置づけているほどです。
 アジアの人々は日本人が考えている以上に「日本人は悪くない。憎むべきは軍国主義だ」と過去をしっかり見据えています。アジアに行けば、自分が日本人である立場をいやでも意識せざるを得ないのです。そのたび私は、共産党員であることをどれほど誇りに思ったことか。
 侵略の歴史はしっかりと史実を明確にして子どもたちにも伝え、日本国民はもとより世界中の確かな記憶にしてゆかなければなりません。未来永劫戦争をおこさない力にするために。日本国憲法「九条」がその証です。
 名護市長選挙が勝利しました。平和に向かっての共同の力が大きく広がっていることを確信するものです。
              (2010年2月1日  記)