コラム―散歩道

10年目のハードル

再び参議院選挙にいどみます

 11月2日、来年の参議院選挙への出馬表明の記者会見をしました。参議院選挙は2度目の挑戦、2000年の総選挙に初出馬してからちょうど10年、今度で7回目となります。
 私は高校時代、陸上クラブの末席を汚して走っていましたが、ハードル選手はスピード、跳躍力と跳ぶタイミング、集中力の総合的力が要求されて、いつも「すごく難しい競技だなあ」と思っていました。
 クラブではやらなかったけど、今までの選挙戦はハードル競技のようだと思うようになりました。ハードルの高さは陸上競技のように固定されているもとは違って、党の力と情勢で変動する生き物のようでした。ひとつ越えたらすぐ次の困難がやってくる、そんな繰り返しをしながら、今回を迎えました。

 今回は、国民が自民党政治を退陣させ歴史的快挙を成し遂げた後の選挙です。長野県では自民党の国会議員をひとりも出すことを許しませんでした。こんな時代がくることを誰が想像したでしょうか!
私は総選挙後、今まで保守層だった団体の方との懇談もしてきましたが、「政治を根本から変えるとき」との声をたくさん伺いその変化に驚いています。
 みなさんは民主党政権への大きな期待と共に、一方では、後期高齢者医療制度の廃止の先送りや、沖縄の普天間基地移転問題、その根本の財源問題で軍事費の削減と大企業減税を正す姿勢が見られないので、先行き不安を大きくしています。
 今回のハードル競技は、完走して自己タイムを塗り替えるだけでは皆さんの求める新しい政治への期待に応えることはできません。どうしても、メダルを取りたい。
 長野県は日本の農業をになう中心的な県、派遣切りが日本第3位、そして満蒙開拓団を日本一大陸へ送った経験を持つ、平和への願いがあふれている県です。
長野で議席をとって、「夜明け前」から「太陽の下へ」日本の針路を大きく舵取りする役目を果たしたいと思っています。

笑顔は向かい合いから

 子どもの笑顔ほど、周りをしあわせにしてくれるものはありません。子どもは私の原点。「すべてのこどもの笑顔が見たい」そう考えると、ふつふつと力がわいてきます。
 人間なら誰でも笑えるのは当たり前、と考えるのは実は間違いなのです。
 「笑い」は、ヒトがヒトになる過程で獲得する能力、とても大事な、人間にしかない特別な能力、引き出さないと埋もれてしまうのです。
 人と人をつなげてゆく「笑い」、笑い合える仲間は生きる意欲をかき立ててくれ、さまざまな要求を芽生えさせ、その要求が発達を促すのです。要求は発達の原動力、要求があるからこそ私たちは発達し続けるのです。歴史だって「暮らしをよくしたい」との民衆の要求で発展してきたのですから。
 その基本の「笑い」も獲得は、赤ちゃんの時、大人に愛情一杯にあやしてもらうことが出発です。
 不思議なことに、赤ちゃんに紙に書いた二つのまるを見せると笑顔が出ますが、三角ひとつではだめなのです。子どもは笑ってくれる大人の目で育つ、ヒトは向かい合わずしてヒトになれないのです。
 障がいのある子は、まず笑う力をつけるために、容易ではない困難を持っています。だから、たくさんあやして笑わせることが、障がいを軽減する子育ての第一歩です。
 どんなに重い障がいがあっても、必ず笑う子になります。とても手厚く、たくさん手をかけることで、ゆっくりでも、どの子も同じ道筋をたどって人間としての力を獲得していくことがわかります。障がいを持つ子は、子育て、教育の原点を教えてくれる先生、障がいを乗り越えて発達を促すための手立ては、すべての子どもに通じる原則を持っています。
 でも私がこの頃とても気になることは、保育園の小さな子どもたちも「声を出してキャッキャと笑う」姿が珍しい光景になってきてさえいることです。

政治の役目

子どもの笑顔は大人が笑って子どもとむかいあえるゆとりの生活から。それは政治の責任です。
 日本はつくづくいろいろな言葉が生まれる国です。国際的には「カローシ」「オモイヤリ」、アメリカでは「思いやり予算」はそれで通じるのだそうです。そして「子どもの貧困」、いずれも世界的な恥じ。でも、奪われてきた人間の尊厳の回復を求めて、「貧困を無くせ」とのたたかいが、なんと力強く広がっていることでしょう。
 子育て支援とは、子どもの心に届く暖かい手を差し伸べること、発達の権利を守り、未来の有権者として大切に育てることに他なりません。小手先のばらまきでは、あまりにもお粗末です。
 子どもの笑顔が見たいから、10年目のハードル、しっかりと走ります。「私の人生をかけて」と言っても、過言ではありません。
                 (2009年11月13日  記)