コラム―散歩道

たたかい終えて日が昇る

国民の勝利

 ほんとに長いたたかいでした。
 議席回復ならず、悔しさが拭い去れません。でも、国民の力で自民党・公明党を立ち上がれないまでに退陣させた、見事な選挙でした。
 自民党政治の延命を支えてきた公明党は、太田代表、北側幹事長、冬柴元幹事長がそろって落選。共産党で言えば、志位委員長、市田書記局長、小池政策委員長が落ちたに等しい重みのある人物です。長野県では、自民党の議席はひとつも与えませんでした。
 国民運動のがんばりと、共産党が新しい日本の進むべき道を示した先駆的方針とそのたたかいが力を合わせた勝利といえるでしょう。たたかい終えて陽が昇りました! ここからが、共産党の出番です。
 要求の実現の促進と、政治が間違った方向にいかないようにするお目付け役の共産党の役割はとても大きい。

涙を笑顔にしたい

 この約2年間に、私が参加させていただいた支部主催のつどいは300回、いかに自公政治が人権を踏みにじってきたか、つぶさに見てきました。

 「二人の年金では食べてゆけないから、シルバーで働いて補填してきた。でもぎりぎり。妻が倒れて私が介護で働けなくなった。介護保険の利用料だけで年金がみんな無くなる。どうしたらいいんだ」老老介護のおじいちゃんに同じ年頃の母の姿が重なる。
 「ぼくは学校にも行けない。ちゃんとした仕事にも就けない」貧しさゆえに定時制高校さえも中退を余儀なくされた少年のことばに、抑えられない怒りが湧く。
 「私の給料と子どもの障がい手当てでやっと12万円の収入。養護学校の高等部進学は、支給される教育資金だけでは足りない。2食に削って捻出している」母子家庭で気丈にがんばるお母さん。・・・・・・あげ出せば枚挙に暇がありません。

 こうした皆さんの思いを抱えての本番、必死で訴えました。
 ある市営住宅での街角演説会でのこと、出てきてくださった10数人の方に握手に駆け寄ると、みんなが泣いています。「頼みます、頼みます。貧乏人を助けてください。病院にも行けない」と。私も一緒に泣いてしまいました。
 そして最後の街角演説会では、ビール箱に板を渡した臨時の椅子に座った50人ほどの人が、宣伝カーから私が降りると、何と皆さん総立ちしになって迎えてくれたのです。弱いものを助けてほしいとの、共産党躍進への祈るような皆さんの思いが伝わってきて、胸が熱くなりました。
 今、皆さんの涙を笑顔に変えてゆく政治の出発点、希望は創りだしてゆくもの、私たちの武器は「連帯」です。

選挙モードの夢から解放された!

 候補者も人それぞれですが、私はよく夢を見ます。本番となればいっそうです。まず演説の夢、「ヤッホー、うまくいったー!」と目覚めて、現実とのギャップに落ち込んでしまうこともたびたびです。どう話したらこの思いを皆さんに伝えられるか・・・おそらく候補者にとって、これは誰でも一番の悩みでしょうね。
 「票が足りない!」と駆けずり回る夢も見ました。他党派の宣伝カーがガンガン回っているのに、私は休んでいる夢も。「こうしてはいられない!」と必死で宣伝カーに向って走るのですが、どうしてもたどり着けない・・・汗いっぱいかいて目覚めました。
 傑作は、列車での移動のときのこと。ついうたた寝した私、気がついたら口の端からよだれがツーっと流れ出しており、宣伝カーに乗っているつもりなのか、手を一生懸命振っているではありませんか。同じボックスに座っていた人は、「この人、なあに?」と思ったでしょうね。夫に話したら、おなかをよじって大笑いでした。
 こうした夢からは解放されました。この10年間、何回繰り返してこんな夢の世界へ入ったことか!

候補者の特典

 参議院選挙以来この3年間、長野県中を歩かせていただきました。個人的には決してできないこと、候補者の特典です。
 長野に引っ越してきて29年、生まれ故郷より長くなりました。長野県全体を知ることができ、いっそう長野県人としての誇りが身についたかしら。「信濃の国」は一番しか歌えないけれど、他県で長野県人が集まると、誰もが歌いたがる気持は分かるようになってきました。
 何と言っても一番の特典は、長野県中の党員と後援会員、そして地域の皆さんとの出会いで、何回もお会いするたびに信頼が深まってきたことです。長野県中に信頼できる人とのつながりをいただけたこと、最高の宝です。
 またともに歩み続けてまいりましょう。核兵器廃絶が夢ではなく現実的な課題になってきたと同じように、夢物語ではなくなってきた民主連合政府を目指して。

                           (2009年9月4日  記)