コラム―散歩道

おむつ考

 

赤ちゃんの存在を示したおむつの洗濯物 

 赤ちゃんのおむつがベランダで風にひらめいている光景は、すでに過去の物となってしまいました。もう一目で「子どもがいる」とはわからなくなりました。布おむつに替わって紙おむつが登場、パンパースが全国販売に乗り出したのが1979年、洗濯しないですむのですから、特に働くお母さんには大歓迎を受け、瞬く間に広がり普及率は9割以上になっています。
 以来「便利でいい」という一方、「やっぱり布おむつが一番」との論争が続いています。といっても、現在論争に巻き込まれているのは、おむつを支持する一部の保育園に入園した親御さんで、世間一般では紙おむつが当たり前となっているので、論争は浮上していません。
 でも、少数派の意見には耳を傾けることが大事、ちょっと考えてみることにしましょう。わたしはというと、どちらか一方を推進する立場ではありません。

紙おむつ

 「紙おむつ」といっても実際は紙ではありません。「高吸湿性ポリマー」と呼ばれる高分子化合物、プラスチックやナイロンなどの仲間の合成繊維です。アクリル酸ナトリウムを顆粒状にして使用したのが紙おむつなのです。
 吸湿性に優れているので、赤ちゃんだけでなくお年寄りにも、また宇宙飛行士、戦闘機のパイロットも使うそうです。
 問題の一つは、燃えるゴミにして環境に及ぼす害はどうかということ。

2005年にイギリスの環境省のライフサイクルアセスメントは「環境に及ぼす影響は布と変わらない」との研究結果を報告しています。「ほんとかな」と「科学物質だから有害物質は出すのでは・・・」と調べたがよくわからない。また、ゴミの減量から言っても、いまいち、納得できない報告ではあります。

もう一つは経済的な問題です。若いお母さんに聞いてみたら、紙おむつ代は一ヶ月約1万円はかかるとのこと。再生可能な布の魅力はここにもあります。

 布の擁護をすると「母親の大変さがわかっていない」としかられそうです。実は、私の子どもは3人とも「布派」の保育園にお世話になったので、洗濯はしんどかったです。でも、途中から保育園の分のおむつだけ、園で貸しおむつを斡旋してくれました。お金は、紙おむつを使うと同じくらいかかりましたが、それでも、布にこだわったわけは・・・。

快と不快

 私は、おむつとおっぱい、つまり食事と排泄という命を守るために繰り返す毎日の作業は、この世に生を受けた命が、「生きていくのは心地よいものだ」との「快」の感覚を身につけるための原点になると思っています。
「快」の感覚の育ちは、その後の、不快なものをはねのける感性の育ちの大切な土台です。
 
紙おむつは吸湿性に優れており、数回の排尿に耐えられます。金がもったいないのでみなさん、数回はそのままです。そして、さらっとしていますから、不快感がないと思います。ただし、重くなります。
 
布おむつは気持ち悪い、「はやくとりかえて」と泣く。親は赤ちゃんの泣く理由がはじめはつかめない。でもだんだん「あ、おしっこだ」「あ、おっぱいだ」とわかるようになってきます。

おっぱいはもちろん、布おむつは、赤ちゃんを気にする心、お母さんが子どもに向かう心をはぐくんでくれます。親を育てるとても大事な作業になるのです。
 
おむつを取り換えてもらった赤ちゃん「ああ〜、きもちいい!」と学習します。つまり、不快感をちょっと経験しないと「快」の感覚が育たないのです。「快」だけでは「快」がわからない。
「きもちいいねえ」と優しい声かけとだっこで「快」がいっそうふくらみます。心地よさを満喫する経験をつむと「不快はいやだ」との感性が育ってゆくのです。

 おっぱいも同じ、空腹が満たされる幸せで「快」が育ちます。

 それを大事にしたかったから、私は布おむつで通しました。
 
しかし、不快な状態ばかりつづくと感覚が麻痺してそれに慣れっこになり、要求が薄れます。
ある老人ホームで職員さんが家族に言ったそうです。「施設ではおむつを換える時間を決めています。家族の方がきた時たびたび換えては、汚れたことに我慢できなくなりますから、かえってかわいそうです」泣けてくる話です。

働くお母さんの味方でもあるわけで・・・

 でも、紙おむつは、働くお母さんの見方でもあるわけです。「おむつ洗う時間があれば、子どもと遊んであげたい」もっともなご意見です。
 私は、子どもにとってどうなのか、との考えと、現実に生活を切り抜ける手段を、別に考えたらいいのではと思っています。わかった上で使うのと、便利さに流されるのでは全く違います。また、使い方によっては、大変便利な紙おむつですから、否定するものではないのです。疑問は残りますが。
それにしても、労働者からおむつを洗う時間も奪い、おむつ代にも事欠くような低賃金で働かせて、平気で首も切る人たちの感性の育ちは、相当ゆがんでいたのでしょうね。

                 (2009年2月3日   記)