コラム―散歩道

「一肌脱ぐ」新しい人生の出発

 

「入党者一万人を超す」

 昨年9月の第5回中央委員会総会で、共産党を大きくする大運動が呼びかけられて10ヶ月、8月2日の赤旗では「入党者一万人を超す」とのすごいニュースです。そのうち長野県は約500人です。
 私は長野県の「党員拡大推進チーム」の責任者となって、現場で実践的に切り開くお役目を担ってきました。
 入党を決意することは、新しい人生の出発です。「この政治を変えたい!」強い要求を持ち、それをはばむ困難を取り除くために「人肌脱ごう」と、生き方の質を飛躍させたのですから。個性が花咲き、人権が尊重される社会に変革する「この道」は、小林多喜二の時代と違って、いまや「みんなで歩けば楽しい道」です。
私は全県を歩き、党を語りながらその瞬間に幾度も立ち合わせていただきました。何より地元の共産党員との強い結びつきと信頼関係の上に、黙っていられない情勢がその方の背中を押した時の、200人もの「そのとき」の感動のドラマに居合わせていただいた私は果報者、大変光栄に思っています。

人生を語って入党

 Aさんは、80歳を過ぎた人生の大先輩。終戦後シベリアに抑留され、辛苦をなめてきました。
戦争末期、中国大陸を逃避行中、怪我でうずくまり「助けてください」とすがる幾人もの母親と同じような女性に出会ったそうです。「手をさし出せば自分が死ぬ」と置き去りにしましたが、そのとき、「戦争で苦しむのは男だけではない、女子どもが苦しむ。これが実態なんだとはじめてわかった」と。
九条の会で活躍するAさんは、理由は語ってくださらなかったが、長年どなたのお誘いにも応ぜず入党を拒否してこられた。そのAさんが、とつとつと戦争経験を話してくださり、ふと考え込み、また話し始める・・・・そして言われたのです。
「わたしは女しょ(女房)を大事にしてこなかったようなんだ。党に入れば、大事にするようになるかなぁ」
中国大陸で救ってやれなかった母親のような女性の姿もダブったのでしょうか。「人生の最後、たたかおう」との思いに心動かされ、私の頬に涙が伝わってきたのでした。

未来論で納得の青年の入党

青年のHさんは2度目の懇談、驚くことにお渡ししておいた「綱領規約」をしっかり読んできておりました。ノートと鉛筆も持参です。ドッキリ!
質問攻めの2時間以上の懇談、最後の質問は「共産党はどんな未来を描いているか。共産主義社会は経済でも生活でも自由がないのでは」でした。それからまた話して・・・はあ、もうヘロヘロ。
 未来論で展望が大きく開けたのでしょうか、「入党します!」のお返事に、ヘロヘロも飛んでいって、うれしさで飛び上がってしまいました! 青年らしい入党でした。

「つどい」は心をつないでゆく「しゃべり場」

 「つどい」は日ごろの思いを何でも自由に話し合える場、そして共産党を丸ごと知ってもらえる場です。最後に一言、お願いをしています。
大運動が始まったばかりのころ、Mさん宅で「つどい」。集まってきた方は、お婆ちゃんのお茶のみ友だち。「ひどい政治だね。私も最近入党したの」おばあちゃんのその言葉に、「ほんとにそうだ。負けてなるか。どこに書くの?」と、4人の皆さんが「集団で!」入党して下さった!
 実はこのとき初めて、つどいの参加者全員に入党の呼びかけをし、申込書を配ってみたのです。
これがきっかけで、私は実におおらかにつどいで全員に入党を呼びかけるようになり、この経験は全県に広がっていきました。
後で訪問しなおすにしても、いったん皆さんに呼びかけることは大事、皆さんは、「この怒りをどうしてくれるか」と行動を模索しています。社会変革と自分の命と暮らしを守る要求が、だれにとってもぴったりと一致している、それが今の時代です。

個性的な人生を紡いで

その後次々と開催されている「つどい」でたくさんの新しい仲間をお迎えしてきました。
共産党支部が仲間お迎え、また心通わせる暖かい集団に、質的にもさらに成長することなしには、私たちのめざす社会の形成へと向かっていけません。共産党の組織事態が、社会の縮図なのですから。

 「私は〇〇さんに感謝しているのです。第二のすばらしい人生に導いてもらえました」としみじみ言われた方がいます。こんなとき「ああ、もっといい政党にしたいなあ」と共産党を心から誇らしく思うものです。

 一般マスコミも「共産党毎月1000人の入党者」と書き立て、共産党は注目されています。一口に1000人と言っても、一人ひとりが個性的な人生、それが新しく毎月1000人も!すばらしい支部の努力です。
でも、北陸信越ブロックの党は議席奪還が悲願、その実現のためには、もっともっと、今の倍以上ものたくさんの人生を紡いで、強く味のある党にしてゆかなければと思っているところです。
 暑い8月、休息を取りながらも、心は燃やしたい。
                 (2008・8・5  記)