コラム―散歩道

わたしのすてきな友だち

ブログへの書き込みでしりあったなつ子さん
 なつ子さん(仮名)とは、3年ほど前でしょうか、私のブログへの書き込みがきっかけで知り合ったメル友です。そのうち、本名とお住まいを知ることができました。
 数年前私は、侵略戦争の痕跡を尋ねて中国東北部へ一週間のたびに出ました。その経験を冊子にして、ほしい方にさし上げていました。ブログでも紹介しましたので、中国に関心を持たれたなつ子さんが、その冊子がほしいと所望されたからです。S県の方でした。早速お送りしたところ、高級エビセンをお返しにいただいたりして、いっそう親しみが湧き、まだ一度もお会いしたことはないのですが、とっても身近な人になってきたのです。
 なつ子さんのブログは政治的関心の高いものでありましたので、「どうも党員ではなさそうだが、この方には仲間になっていただきたいものだ」とずっと思っておりました。

「私ね、入党しました!」
 ある日、躍動感に満ちたメールが届いたのです。そばで彼女の呼吸が感じられるようでした。「何かしなくてはと、選挙の応援で初めて党の事務所に行きました。わたしね、入党しました!」わたしは、「なんてうれしい!」と興奮してしまいました。それからは、党員として腹を割った話ができるようになりました。
 伊豆で行なわれた第24回党大会でのこと、S県の市会議員、Yさんが声をかけてくださいました。「中野さんですね。初めまして。なつ子さんからお聞きしています。彼女、がんばっていますよ」「まあ!」なつ子さんが取りもってくれたうれしい出会いでありました。記念にツーショットに収まりました。

「わたし、何のために党にはいったの」
 なつ子さんの党員としての真摯な気持ちの出ているメールは、とても新鮮で、いつも私を初心に返らせてくれました。ところが、彼女の入った支部は困難が多く、彼女の思っているような活動ができずにいました。
 「私はなんのために入党したの?」とやきもきとしたメールが届くようになりました。「日々の活動を拝見して、とってもうらやましい。長野の支部活動はどんな風にされているのでしょう。私は爆発しそう・・・今までの支部活動は市議選のときだけ・・・この前の参議院選挙が初めての国政の取り組み・・・保守的な土地での党活動はやってもだめだ、みたいな何というか疲弊が蔓延しているのです。でもね、言ったんです。後援会作りましょう。今までの得票があるでしょう。市政報告や懇談会などしましょう・・と。重い腰を何とかしたい(原文から)」せっかく生きがいを持って入党した新しい仲間が苦しんでいる様子に、何とかしてあげたいなと私もやきもきしながら、私の周りにも存在する困難な支部や新入党員の気持ちを考えたりしました。

なつ子さんから驚くべき返信
 最近の「あかはた」党活動版に、Y市会議員のコメント付きでS県のニュースが載りました。「長野県に学んで党員推進チームを作り」仲間増やしに乗り出しているとのこと。早速、なつ子さんに「うれしかった」とメールしました。
 ほどなくなつ子さんから驚くべき返信です。
 「新聞にも掲載されたガンバリを私たちの支部もやってやろうということになりました!・・地区からも応援が・・私うれしくって!
 もう落胆しかけていたのですが、だめかなって。でもね、どうしてもやりたいと。実は、中央に電話をかけました。だって、中央の応援を受けて地区が動き出したのですから、どう言えば、どうやれば動いてくれるかって。
 中央のHさんという方が、いろいろお話ししてくださいました。あきらめずに言いなさい、今までの地区ではないはずとも。
 それでもう一度支部会議でお願いしました。党員のお願いは新人の力では難しい、でも市議さんのもつ1000票がある。衆議院に向けて票の掘り起こしをしよう、議会報告を継続的にやろう。まず読者を回って参加してもらおう。そして後援会を作ろうと・・・。
 共産党の催しは一般の人は敷居が高いとか、市民にもしがらみがあるとか率直な意見がだされました。でも、1000票の味方があるんだから、知恵を集めてがんばろうと言ってくれました。次の日、中央のHさんから電話をいただきました。『支部会議どうでしたか』と。とても喜んでくれました。私も本当にうれしいんです」
 私は彼女の純粋なエネルギーに圧倒されました。困難を切り開こうとする彼女のものの考え方と行動力は、共産党員なら忘れてはいけない大事な原点、情勢をしっかり捉えて、内なる壁をこじ開ける力をだしたなつ子さん、本当にすばらしい。
 「実は中央のHさんは、富士通のリストラ反対のたたかいのとき、闘争本部長だった私を支えてくださった方なのです」とのメールに「ワ!ドラマチックだ!」とのお返事をくれた私のすてきな友だちに、いつかお会いできるときが来るでしょうか。
                    (2008・3・6 記)