コラム―散歩道

おいしいご飯を食べたいよ

朝ごはん

 私はおかげさまで毎日の朝食がとてもおいしくいただけて、ご飯と味噌汁の和食党です。味噌汁の匂いは最高ですね。
ところで、保育園で出会う子どもたちの生活パターンで気になることが多くありますが、そのひとつが朝食の内容です。
 「クリームパンを食べてきたの。ママもクリームパン」「肉まん」などはまだいいほうで、「プリン」とか「野菜入りスナック」になると、うなってしまいます。それでも食べてきているだけまだまし、中には 朝からぐったりして元気がない子が・・「やっぱり・・」朝食抜きでした。こんな家庭が増えています。
 問題は二つあると思います。

大変すぎる仕事

 まず、労働の厳しさです。パパだけでなくママも夜遅くまで働き、また夜勤や2交代などの不規則勤務で、6時、7時に夕食を食べることができる子も、家族がそろう家庭もほとんどありません。そして朝は両親がぐったりして、「起きるので精一杯」と訴えもあります。朝食抜きだった子は、両親が小さなラーメン屋さんを経営しており、遅くまで必死で働いていました。
 朝ごはんを家族でたべるゆとりすらない、これが日本の労働者の実態です。ホワイトカラーエグゼンションを化粧しなおして「家族団らん法」と変えようとの話しがありますが、よっぽど現実を知らないか、しらばっくれているのか!
 私は、子どもたちが朝ごはんも満足に食べることができないような国に、未来はないと思っています。

心を食べる

 もうひとつは、お菓子と食事は違うこと、食事は栄養だけでなく、心のエネルギーの充電であることを学びあうことが大切だということです。
 「日曜の朝飯はファーストフードですませます。楽だから」「日曜日はフライドチキン、子どもがよろこぶから」というママがいました。団塊の時代のおばさんである私は、子どもを車に乗せてつれてゆく手間を考えると、あるものでぱっと作ってあげたほうが「楽チン」だし、「フライドチキンは高いなあ、材料を買ったら結構なものを作れるなあ」とも思うのですが、外食産業はしっかり、生活に根ざしてしまっています。
 でも朝食は、「今日も楽しく暮らそう」との意欲の出発点だから、たとえファーストフードにしても、そのことを忘れないで家族の楽しい団欒にして食べてほしいなあと思います。
 「手なんてかけられない、具たくさんの味噌汁だけでもいいですか」このママには、大きな拍手です。たとえ味噌汁一品だけでも、そこにはたくさんの具とともに、お母さんのあふれる愛情も入っています。
 お母さんの心と、外食には不足しがちなたっぷりの野菜の栄養、それが子どもの精神安定のもっとも基本的な土台になるのです。

おむすび

 おむすびはなんと優れた携帯食品でしょうか。梅干しだけでなく、漬物でもたらこでも、ご飯には何でもマッチしますし、しかも遠足や運動会の思い出がただよう哀愁のある食べ物です。私の家は貧しかったので、黒々したのりが買えず、およそのりとは思われぬ赤茶けたのりだったものだから、行事のときは恥ずかしく悲しかった。でも、おいしいと思いました。
 9月の長野市会議員選挙で野々村ひろみ選対に入ったとき、事務所では野々村候補のおかあさんのおむすびが「おいしかった」との評判でした。ぎっちりでもなくぼろぼろでもなく、ほわっとしていて崩れない握りかた、そして手のぬくもりで甘みを増した塩味が、なんとも言えずおいしいと。
 昔、野々村さんと私は同じ団地に住んでいました。野々村さんのおかあさんにはお世話になってきてお人柄を良く知っていますから、そのおむすびの味、伝わってくるようでした。それは、「娘を何としても当選させたい」という母心だなと。
 私も、赤いのりをいやだと言えば母が悲しむ、じっとこらえて、それでもおいしく食べたのは、母の「たとえ赤くてものりをはってあげたい」という思いが伝わってきたからなのですね。
 コンビニのおむすびではけして味わえない味、今、子どもが食事に求めているものはこれだと思います。

 さて、再び保育園の話しで閉めましょう。
 給食室からいい匂いがただよってくる、作ってくれる給食の先生の姿がみえる、待ち遠しかったお昼、そしてみんなでテーブルを囲んでの給食の時間は、食べることを忘れるくらいおしゃべりに花が咲いてにぎやかです。体にも心にも栄養をたっぷり、保育園の子どもたちの幸せはここにもあります。

(2007年10月4日記)