コラム―散歩道

新しい歴史の出発

こころひとつで悔いなきたたかい

 みなさん、参議院選挙のたたかい、本当にごくろうさまでした。そして、心からありがとうございました。自民・公明政治に痛烈な審判を下しましたね。  結果は悔しさもありますが、私は気持ちよくたたかうことができました。

 それは、党員、後援会員、支持者の皆さんと、「ぴったり同じ呼吸をしている」と終始実感できる感動の日々の連続だったからです。 

 街角ごとにきめ細かく開催された演説会では、どこでも数十人から、150人も集まってくださったところもあり、さらに聴衆が膨れ上がってくる特徴がありました。

 集まったみなさんの「本当に勝とう!」との真剣なまなざしと固い握手に、地域訪問や電話での支持拡大、チラシまきやメガホン隊などで頑張ってくださっている姿が浮かんできて、どれだけ力をいただいたかわかりません。

 候補者カーへの反応の良さにも、みなさんのガンバリを感じました。

 ひとつだけご紹介すると、約900世帯の栄村では、雨にもかかわらず街角演説会に100人以上、さらに栄村から出るときは、音を聞きつけて道の両脇の家々から、次々と人が飛び出してきて手を振ってくれたのです。

 このような熱っぽさは、最終日、ほかより少し冷えてもおかしくない大都市長野市に入っても衰えることはなく、「何かが起きている」との驚きをもちました。

 新しいスニーカーで走ったエネルギーの源は、昔マラソンの選手で走るのは得意だからなのではなく、「私は苦しむ国民の代弁者、元気で応えよう!そして1票でも多く!」と皆さんからいただいた力で、皆さんと一緒に走っていたからです。

 国民の切実な願いを、まっすぐ訴えた共産党への期待があふれていた選挙でした。

 結果は、194407票と票を大幅に伸ばし、得票率で言えば京都に続いて第二位、伸び率は第一位、比例でも票を伸ばし、皆さんと一緒に、自民党候補を震撼とさせたたたかいができました。悔いはありません。

あたらしい国民の政治への一歩が始まりました

 長野県では、いっせい地方選挙での躍進が参議院選挙のたたかう土台になっていました。でも、条件だけではこれほどのたたかいは展開されなかった、みんなで「本気」になったからだと思います。

 「必勝区宣言」は私のエネルギーを、さらに大きなものにしてくれましたが、皆さんも同じではなかったでしょうか。私たちは開拓精神を見事に発揮したと思います。国政選挙でも「本気で勝つたたかいを」との構えがどっしり座ったこと、これが今回の選挙で得た宝だと、私は思っています。

 さて、自民・公明政治が審判を受け、新しい枠組みの政治が始まりつつあります。民主党はイラク特措法延期に反対の立場を打ち出し、政治資金も1円からの領収書を、と言いだしました。まさに世論の力、選挙前とは変わってきました。国会での野党共闘では、国民の利益にたっての柔軟性が求められるとともに、ますます、共産党と草の根の皆さんの共同の力が果たす役割は大きくなりました。

 大学生のころ、「1970年代の遅くない時期に民主連合政府を」のスローガンの下、その実現を本気で信じていました。歴史は簡単には進まず、ジグザグしましたが、しかし、今、私は、「民主連合政府」へ向かう新たな一歩が始まったとの実感を持っています。

 これから先、当然、たくさんの困難や紆余曲折があることでしょう。しかし、国民は、手が届かないところではない少し先に、「民主連合政府」が見えてくるようなたたかいを、党に求めていると思うのです。

 大きな気持ちで、現実の課題を一生懸命取り組んでいく決意新たにしています。。

 選挙中、心のこもったプレゼントをいただきました。「リュウマチで動かない手で一生懸命つくりました」と九条の「9」の形のペンダント、諏訪のTさんは「中野さんの人柄を知ってもらいたくて」と私のエッセーをパソコンできれいな冊子にして、まわし読みで訴えたとのその冊子、平和への願いをこめた和歌や詩も数人の方からいただきました。

 最後にいただいた和歌の中から、ひとつご紹介をさせていただき、皆さんから寄せていただいた1票1票の重み、そしてたとえ他党へ投票した方でも、願いは同じはずですから、公約を心に刻んで前進する決意を申し上げ御礼にさせていただきます。ありがとうございました。


紫の小さき花にも託したきこの世にピカドン落とさぬことを

(2007年8月6日記)