コラム―散歩道

いのちはコンクリートより軽いのですか

 村井知事が脱「脱ダム宣言」、浅川ダム建設の復活を言い出しました。「危険」「ムダ」「県民無視の一方的なやりかた」の3点で、私は反対します。ここでは、「危険極まりないダムだ」ということに焦点を当て、私の経験を語ります。

地付き山の災害を思いおこしてほしい

 22年前の7月26日の夕方、高台の地附山が大崩落しました。我家は一番てっぺんの山際にありましたから、真っ先に土砂に巻き込まれて全壊しました。国内最大級の地すべりでした。

 全壊した家屋だけで50棟、そのほとんどは、20メートルもの土砂の下敷きになったのです。

 老人ホームでは、26人ものお年寄りの尊い命が奪われました。団地に犠牲者が出なかったのは、団地住民が自発的な学習会を行い「自警団」を組んで警戒態勢に入っていたこと、なにより昼間の出来事だったからです。夜だったら、大変な犠牲者が出たに違いないのです。

 大崩落の前に小崩落がありました。運動場に土が落ちたため被害はなかったのですが、小崩落といっても、木がバリバリ、メキメキと音を立て土と共に崩れるさまはまさに恐怖、私は子どもを車に乗せて病院に逃げました。

 大崩落の日、私は京都に出張していました。行くべきかやめるべきか悩んだ末、お天気が続いていたので崩れることはないだろうと出かけたのです。家には、私の母が、喘息発作で保育園を休んだ真ん中の娘と留守番、長女は小学校に、末娘は保育園にいました。

 その日、県職員が団地に入り物々しい雰囲気を感じた母は、夫に電話連絡、危険を感じた夫は、昼休みに母と娘を職場である病院に避難させ、その足で小学校へ行き「父が迎えにいくまで学童にいなさい。決して家に帰ってはいけない」と長女に言い聞かせてきたのです。

 この判断がなければ、母も、娘2人も、どうなっていたかと考えると背筋がぞっとします。

 後で聞けば、住民に避難勧告が出たのが4時30分、直後の4時58分には山が動いたのですから。

 助かったとはいえ、土砂に追いかけられ命かながら逃げた人もいたのです。どんなに恐ろしかったことでしょう。

 末娘は、同じ団地に住んでいた野々村さん(現在長野市会議員)にお迎えを頼んでいましたが、子どもを乗せてSBC通りに差し掛かったとき、真正面で崩壊する地附山を見て悲鳴を上げたとのことです。

 夜遅く長野に帰った私は、病院の駐車場で「病院に避難している」との車の張り紙を見て災害を知ったのでした。家族が全員揃ったのは、夜中でした。

 いのちだけは助かったこの日のことは、決して忘れることができません。しかも私と夫の結婚記念日でもあったので、しっかりと日付がインプットされているのです。

 「何もかも失った。でも、いのちはある。ほかのものはこれからがんばって手に入れることもできる。思い出の写真はだけは無念でならない」仲間の口惜しい言葉が今でも耳に残っています。

災害の原因は

 湯谷団地は地附山に開発された団地です。その上に県企業局が飯綱、戸隠へのアクセス有料道路バードラインを建設しました。このバードラインが2本の沢を横断して流れをさえぎりました。流れからそれて逃げた水が滑り面を作りました。それがちょうど団地の地下だったのです。

 地付き山は裾花凝灰岩という、水を含むとボロボロに崩れる大変もろい地質です。そこに水が入ったのですから、ひとたまりもありません。崩落の前、なぜ年々、うちの中が湿っぽくなるのだろうと不思議でしたし、ご近所からも「除湿機から毎日バケツで一杯、水が出る」との話もお聞きしていました。そのことも、娘の喘息が誘発された原因も、家の下に水が流れていたことにあったのでした。

 住民の10年にわたる裁判の結果、長野地裁は、災害はバードラインの建設が原因であったと、判決を下しました。地すべりは人災であったことが明確になったのです。

欲しいのは社会保障のダムですよ

 実は、浅川ダム建設予定地は湯谷団地から1・5キロ、地質は地附山と同じ、もろい裾花凝灰岩なのです。一帯が地すべり地帯で、1・4キロ先には善光寺地震の震源地もあり、活断層も走っています。井上さとし参議院議員の現地調査での言葉の通り「こんなに危険だと解りやすいダムはない」のです。しかも、既にブロックで崩れている所が何箇所かあり、そのため水抜きをしているところなのに、そこに水をためようという、むちゃくちゃな計画です。地附山地すべりの犠牲を何一つ生かしていません。

 ダムのせいで土石流が起きれば、住宅地を直撃です。いのちの重さをどう考えているのか、コンクリートより軽いというのでしょうか!

 私たちが今欲しいのは、貧困を救ってくれる社会保障のダムです。村井さん、国と一緒になってひどいじゃないの。でも、私たち、絶対負けませんよ。勝手が通ると思ったら、大間違い、みなさん、声を大きく上げましょう!

(07年2月15日記)