コラム―散歩道

二つの映画


「武士の一分」
 
忙中閑あり「武士の一分」を見た。藤沢周平原作、山田洋二監督、「たそがれ清兵」と同じコンビで、やはり山形庄内藩の下級武士の生活が舞台。どうしても許せないものに人間の誇りをかけて立ち向かい、大事な人を守る気迫が、見るものに迫ってくる映画だった。

 藤沢周平の作品は、「息子」「学校」「寅さんシリーズ」などを手がけた山田洋二の監督が手がけたからこそ、輝いた映画になったと思う。ぴったり合った呼吸が伝わってくる。これだけ息の合ったコンビがあるだろうか。「たそがれ清兵」でもそれは感じた。

 ごく普通の庶民の生活と人の気持ちに焦点を当て、人を信じ大切にする暖かさは、どんな人生にも一筋の希望の光を与えてくれる核心なのだとのメッセージは、わたしたちを優しい気持ちにしてくれる。

 主演の木村拓也が熱演、盲目になった新之丞の心の葛藤を見事に表現し、また太刀まわりの見事さと気迫に、私は彼を役者としてすっかり見直してしまった。

 ・・・武術にもたけ、藩校では秀才といわれた三村新之丞は三十石の下級武士、子どもたちに武術を教える道場を夢みながら、今は藩主の毒見役をしている。美しく気立ての良い妻、加世とつつましく幸せに暮らしている。ある日貝の猛毒にあたって奇跡的に命は助かったものの盲目になってしまった。死のうとする新之丞を励ます加世。加世は生活の困窮を救おうとして、新之丞の上司島田にてごめにされる。加世は離縁される。「妻を盗み取った男の口添えで、たかが三十石を救われて喜んでいた俺は 犬ちきしょうにも劣る男だの」ところが島田は加世を騙したのだった。口添えはしなかった。藩主の命を救った恩賞として身分が保証されていたのだった。新之丞は盲目の身、死を覚悟で、妻の名誉を守り武士の一文をかけて島田に果し合いを挑む。した働きの徳兵の計らいで、離縁した加世との再会・・最後の場面は見事なオチになっている。

「硫黄島からの手紙」

 これはどうしても見なければと、間隙をぬって映画館に飛び込んだ。

 監督はクリント・イーストウッド。アメリカ映画だが、日本の軍隊を冷静に見て画いている。アメリカびいきもなく侵略戦争の善悪についても直接触れず、「死」と向かい合った兵士の心の葛藤に焦点を当て、事実の描写で戦争を告発している。

 映画は、死を覚悟した兵士が家族に書いた手紙が、硫黄島協会の発掘によって発見される場面から始まる。地中に埋めたため、戦火を免れ保存されたのだ。

 日本軍は、大本営から見放され食糧も武器弾薬も枯渇した状態でなお、一ヶ月もの長きにわたり信じられない抵抗を続けた。本土決戦を引き伸ばすためとの使命感があった。「お国のため、天皇陛下のために」との愛国心が精神的支柱であったことに偽りはないだろうが、「本土決戦引き伸ばし」の真意は、恋人や家族の命を守るためとの、深い愛情以外のなにものでもなかったのではないだろうか。

 総指揮官である陸軍中将栗林忠道の「家族のためにここで死ぬ。しかし家族に会いたい」とのつぶやき、彼が画く家族団らんの絵が胸に応える。兵士たちの手紙一つ一つに凝縮された死直前の思いを想像すると、私は言葉を失う。

 持久戦にそなえて掘られた摺鉢山の洞窟は、何と18キロにも及ぶ。1945年2月19日米軍上陸。2万そこそこの日本軍に対して、米軍は軍艦800隻、航空機4000機、6万1000人の兵隊に援軍が25万。火山ガスと地熱で地獄のような暑さの穴倉を拠点にした一ヶ月に及ぶ壮絶な戦いで、日本軍は2万以上の命を失った。米兵も2万8686人の死傷者を出す。終戦半年前である。

 映画では出てこないが、人間魚雷、回天特攻隊が硫黄島に向って突撃したことも忘れてはならない。17歳や18歳のうら若き兵学校や予科練の青年が、自爆して死んでいった。靖国神社の遊就館に展示してある「回天」を見れば、恐怖を覚えない者はないと思う。逃げ出す装置はない。ひとりがやっと入れるスペースが、生きたまま入れられる棺おけになるとは、あまりにむごい。 

 アメリカに留学したこともある栗林中将の部下への優しさにほっとする。彼のアメリカ時代の回想、また、陸軍大佐西竹一の捕虜になった米兵との会話や米兵が持っていた母からの手紙を読む姿に、あの戦争はなんだったのかと思い知らされる。西大佐も実在の人物、ロサンゼルスオリンピック障害物馬術で優勝した選手である。 

 改憲の動きが激しくなった。「硫黄島からの手紙」は、改憲の先に何があるかを伝えている作品である。「命どう宝・九条は宝」、国民と世界の平和への願いとあまりにも乖離しすぎた改憲の動きは、永久に葬らなければならない。

(07年2月1日記)