コラム―散歩道

子どもの笑顔が見たいから

大人の輝く笑顔から

 「笑う角には福きたる」といいますが、笑い顔は人の表情で最高のものですね。

 特に子どもの無心の笑顔は、周りを明るく楽しくしてくれる何よりのものです。いやなことも忘れさせてくれるくらいすばらしい。

 エッソ著の「また森へ」という素敵な本があります。森に集った動物たちがそれぞれお得意わざを競い合っていました。それがおかしいと笑った「ぼく」が一番になるという話です。どの動物たちにも決してできないことだったから、みんなびっくりして「これはいい!」と評価されたのです。

 「ただ笑っただけなのにね」と言う「ぼく」にお父さんは応えます。「いつもお前のように笑っていたいものだよ」と。

 笑うことができるのは人間だけ、でも、生まれながらに持ってきた力ではありません。大人の笑顔から学んでゆくのです。

 ただただ可愛いと抱っこされ、おっぱいももらいながら、初めてまぢかに見た、笑っているやさしい二つの丸いものを、ここちよさと一体のものとして赤ちゃんは受け止めます。

 こうして赤ちゃんは「快」の体験で、無防備に自分をゆだねる安心感をおぼえ目から笑いを獲得してゆきます。紙に丸を二つ書いても反応するそうで、三角や四角、あるいはひとつではだめなのです。

 「面白いなあ」の「面」は顔のこと、「白」には実は「輝くような」という意味もあります。大人の輝くような笑顔が赤ちゃんに、「私の生まれた世界は楽しくて面白いところなんだ」と実感させるのでしょうね。

 楽しさを知った赤ちゃんは、放っておかれるとつまらないから、「抱っこしてちょうだい」との要求が生まれるのです。要求こそ、発達の原動力です。

 余談になりますが、人生、「青春」の次は「朱夏」「白秋」「玄黒」と続きます。

 私は今「白秋」、中年は「輝く秋」の素晴らしい時代ということですね。

  

笑いこそ発達のちから

 2ヶ月くらいの赤ちゃんはあやすとニコっと笑ってくれますが、「おはしゃぎ反応」といって発達の大事なチェックポイント、知的障害などあるとこれがなかなか出にくく、要求も出にくいのです。要求が出にくいから、発達もゆっくりになりがちです。

 だから「おとなしいな」と感じる赤ちゃんには、意識的にうんとあやしてあげること、これが早期の大事な手立ての一つで、どの子もあやすほど力を発揮してきます。どんなに重い障害がある子でも、あやしの中で笑顔を獲得してゆきます。笑いは身体生理への影響も大きく、血色もよくなって長生きにつながるのです。重度な子ほど、笑いはいのちそのものといえるでしょう。

 通常3ヶ月も過ぎた赤ちゃんは、声を出してキャッキャっと笑いようになります。

 赤ちゃんは泣くとき手を引っ込めますが、笑う時はばたばたと前へ出すでしょう? 5ヶ月過ぎになると前に伸ばした手で自ら物をつかむことができるようになり、外の世界を探索し始めます。「手は突き出た大脳」、いたずらしながら、さらに意欲を持ち「楽しいなあ」と憧れを膨らませながら、人としての能力を高めてゆきます。「楽しい」の語源は「手伸し」なのです。

 やがて自分の足を使って遊びまわることで満たされて、「満足」感にひたるのです。そこにはいつもお友達がいて、共感が人生の楽しさを豊かに広げてくれるのです。

可能性はつくりだすもの

 赤ちゃん時代の笑顔の獲得の経験は、人としての感性や情緒の育ちの土台となる「原体験」です。この原体験には、年齢を問わず、よりよい発達への普遍的な原則が含まれていると、私は思っています。

 あれこれ注文をつけず自分を掛け値なしで愛してくれる人がいる安心感は、湧き出る泉のように子どもたちのこころを自己肯定感で満たしてくれる源泉です。

 安心感は笑顔をもたらし、意欲を育て、困難にも立ち向かってゆく力も育ててゆくことでしょう。

 そして子どもの笑顔を見るためには、大人が笑って暮らせる生活でなければいけません。

 「また森へ」のお父さんは「お前のようにいつでも笑っていたいよ」と言いましたが、大人には子どものように無心に笑ってばかりはいられない複雑さがあるにしても、感情の中心にここちよさと笑いがある人生でありたいものだし、そうしなければなりません。

 今年は政治転換の正念場の選挙の年です。私は、発達の4つの原則をかみしめながら、国民の幸せを阻んでいる自民党公明党の政治を跳ね飛ばすために、みなさんとご一緒に力いっぱいがんばる決意です。子どもの笑顔が見たいから!!

・発達は権利です

・発達は要求から出発します

・発達は集団の中で達せられます

・ 発達の可能性は作り出すものです      

(2007・1・2  記)