コラム―散歩道

抵抗の花、むくげ

 台所の日よけに

 むくげはなんと強い繁殖力を持っている木でしょうか。隣から飛んでくる実生苗の数はおびただしい。一生懸命抜かないと大変です。
 それでも一本は庭の隅で大木に育ち、6月から秋にかけて毎日見事に花を咲かせています。秋には、幹にからんだアケビの紫の実が、むくげの木に仲良く同居です。もう一本は、台所の窓の前に育ちました。

 東向きの台所の窓は、私の強い希望で天井まで大きく切りました。目的は、ひとつは採光、おかげで溢れる朝陽で一日が出発します。そしてもうひとつは、窓の真ん前に広がる隣の庭の花。
 お隣さんの庭は良く手入れされていました。しだれ桜、藤棚、紅白の梅などの樹木に、あやめや菊など折々の草花・・・こんな素晴らしい眺めを享受しない手はない。まるで自分の庭のように、開け放った窓から花を眺めて台所仕事なんて素敵。

 十数年は成功感を味わいました。しかし想定外のことがおきました。それは引越しでした。代わりに入った方が、樹木や草花を一掃して、そこを駐車場にしてしまったのです。
 そしたらむくげが飛んできて駐車場と我家との間に根付き、今では新緑を広げ、花芽をつけ、半年もの長い間花を咲かせ続け、目の前で季節の変わり目を伝えてくれるようになりました。おまけに日よけの役割もしてくれます。

 むくげは抵抗の花

むくげは韓国の国花、国の繁栄の願いをこめ、無窮花(ムグンファ)と呼ばれていますが、その名のとおり、うちに庭にやってくるおびただしい実生の苗や、一日花なのに6月ごろから約半年にわたって次々とリレーして咲き続ける花は、力強いいのちの継承を示唆しています。
 沢山の種類の中でも、真っ白の花弁に燃えるような真紅の芯をもった花が、もっとも韓国らしいと私は思っています。松代大本営の組曲「光の種をまく時」の一曲「洗濯ばあさん」が連想され、白い花びらは真っ白なチョゴリ、真紅の芯は怒りを表しているように思えるからです。

朝鮮民族の庶民の普段着である白いチョゴリ、それに洗濯棒を振り落とすばあさん、「ウェノムたちめ(日本人め)、このチョゴリのように真っ白な、私たち民族の心は犯されない」と。

 天皇制軍隊の最後の砦として作られた松代大本営を掘ったのは、強制連行された朝鮮人、4千人とも6千人とも言われています。壕には当時のドリルが岩壁に突き刺さって残っています。
 そのドリルから、家族と引き裂かれ強制連行された憎しみ悲しみ、過酷な労働と人格が奪われた怒りに満ちた「アイゴー」の声が聞こえてきます。
日本軍国主義は、残虐に沢山の朝鮮人の命を奪い、母国語を奪い、名前まで日本名に変えさせ、「チャンコロ」と蔑視し、力で朝鮮をねじふせました。そしてむくげまで、根こそぎ切り倒したのです。
 むくげは日本の植民地支配下にあった、朝鮮の抵抗運動を象徴する花でもあったからです。

 韓国の若者との交流に平和の力

 この7月、私は奈良で開かれた障害者問題研究会全国大会に参加し、分科会で韓国のヨンセ大學の学生グループと遭遇しました。日本の福祉を学びにきた彼らは、たまたま開催されていた大会に飛び入りで参加、司会者は急きょ、両国の福祉の状況を交流しあう時間をとることを提案しました。
 自国の福祉の現状を良くつかんでおり、自分の意見をはっきり述べる青年たちに私は好感を持ちました。
 戦争を起こそうとする勢力があろうとも、今はこうして人を大切にすることを学びあい、信頼し合う私たちがいるかぎり、過去を乗り越え平和の歴史を前進させることができる、そう確信した交流会でした。

 ヨンセ大学は、詩人のユン・ドンジュの出身校でもあります。同志社大学に留学していた彼は、母国語を剥奪されてもハングルで詩を書き続けたために、治安維持法で逮捕されます。1945年、終戦の年に、28歳の若さで獄中死しています。ユン・ドンジュは、暗黒の時代に祖国の誇りを捨てなかった詩人として、国民的に尊敬されている詩人です。
 ヨンセ大学の学生は、誰もがユン・ドンジュのことを知っているとのことでした。

 彼の詩にはいさましく激しい言葉はひとつもないのに、朝鮮民族の抵抗と誇りが読む者の心に深く浸みこみ、もう二度と過ちは犯してはいけないと私たちに語りかけてくるのです。
 台所のむくげが咲き始めるころ、私の脳裏にこの詩が浮かんできます。

 息たえるまで 空をあおぎ
 一点の恥のなきことを
 葉合いにそよぐ風にも
 私は こころ痛めた
 星をうたうこころで
 いきとしいけるものを いとおしまなければ
 そして 私に与えられた道を
 歩みゆかなければ
 今夜も 星が風に吹き晒される

                           (2006年8月30日 記)