コラム―散歩道

秋田の旅

 2月18日の夕方、秋田市へ降り立ちました。N病院の共産党支部主催の学習会の講師の仕事でした。東北うまれの私ですが、初めての秋田。遠いといっても、長野から新幹線のおかげで5時間あまりで着きました。大宮で乗り換えて「こまち」で一路秋田へ。盛岡で八戸へ向かう列車が切り離されます。

 内陸を走る新幹線の車窓からは米どころ東北地方の景色、水田は雪の布団をかぶって、どこまでも広がる平原となって広がっています。窓におでこをくっつけるようにして眺めいってしまうほどの魅力的がありました。銀世界、でも立春も迎えたこのごろ、雪を割いて流れる小さな川の水音が車中にぬるみを伝えてくれるようにさえ思え、春の足音を感じながら秋田に入ったのでした。

東北弁のぬくもり

 迎えてくれたのは、秋田県ただ一人の共産党県会議員の夫人のSさんでした。懐かしい東北なまりの言葉で歓迎してくれました。ああ、この響き、なんて暖かい。私も弟からの電話があったりすると、とたんに東北弁になってしまいます。

「みんな元気すか。(ですか)こっちも変んねっちゃ。(こちらも相変わらず)ばあちゃん、とぜん(徒然)がってんの?(つまらない、暇、寂しい、が混じった意味)弱ったねえ。あらあ、Sちゃん、合格したってすか、いがったね。(良かったね)なんだべ、(なんということでしょう)早ぐおせてければいがったのに。(早く教えてくれればよかったのに)。んん、そいなごと、おら、やんだな。(そんなこと、私、いやだわ)」という具合です。

 同じ東北弁でも、宮城、山形、秋田の言葉は、表現の違いはありますが、アクセントのおきかたは似ていると思います。

 しかし、岩手、青森となるとちょっと違います。

 宮城から岩手に上ると、抑揚の高低が大きいのです。青森も津軽まで行くと、抑揚だけでなく、言葉自体がもう解らない。外国語です。

「私」と言うことへの抵抗

 お会いした方の「なまり」に気づくと、懐かしさがこみ上げてきます。そして、「宮城かな、それとも岩手?」と考えます。いずれにしても「ずーずー弁」には温かみがあり、東北人の人情がにじみ出ていると私は思うのです。

 でも、関西弁と違い、劣等感を植え付けられるのはなぜでしょうか。発音が澄んでないため、美しく聞こえないためでしょうか。

 私も、東北弁に誇りを持つようになったのは、自分の考えが「大人」になってからです。

 大学生になって狭い交友関係を抜け、全国各県の友人ができたとき、一番困ったことは、自分のことを「おえ(おら)」ではなく「私」と言うことへの抵抗でした。

 「私」というのが気恥ずかしくて、過去の自分を知っていない新しい友人の中だから、言えるようになったのだと思います。小さな悩みでありました。今の若い人はそんな「ドンくさい」悩みはないかもしれませんね。

きりたんぽはせりが決め手

 晩の交流会では本場のきりたんぽを初めて食べましたが、大変おいしいものでした。きりたんぽなべは、地鳥のだし、入れる野菜はまずせり、ごぼう、ねぎ、まいたけ、それに糸コン、他の野菜は入れないと教授されました。

 「それ以外は入れないのですよ。」と念を押し、ポリシーを感じる説明でした。

帰りに飛び込んだ駅ビルのお店でこけしを買った折、お店のおばさんに話しかけてみました。「きりたんぽはせりを入れるんですって?」と。そしたらおばさんもまた病院の仲間と同じように、情熱をこめて語るのです。秋田人の誰もが、自慢の郷土料理としてきりたんぽを愛しているのだと、その思いがひしひし伝わってきました。

 「そうだよ。せりが決め手。スーパーで売っているようなものではだめだよ。スーッと長くて葉っぱもさらさらとしかついてないでしょう。せりはね、横手のものでなおとだめさ。

 背が低くて葉っぱもぎっちり、根っこのひげがうまいのですよ。横手のせりはね、なべに入れるとふわーっと香って、真っ青に広がるんだよ。他のせりではこうはいかない。雪のしたから採るんだよ。きりたんぽはこのせりを食べる料理なんだよ。ごぼうはね、青森のものが一番いい。私は、朝早く市場に買いに行くんだよ。」

 きりたんぽを買ったという私に「あんた、市場はほれ、そのホテルの裏だよ。まだ開いている時間だ。汽車は何時?あと40分ある。走って行ってせりだけでも買ってきなさい。荷物はここにおいて!」とおばさん。変なせりを入れて、これが秋田のきりたんぽといわれたらかなわない、という勢いです。

 追い立てられるままに市場へと走ったけれど、いかんせん間に合わないことが解り、途中からすごすご引き返すことになって残念きわまりありませんでした。

 「こんなことなら、もっと早くホテルを出てくるのだった!早起きして時間をもてあましていたのに。」と、列車に乗っても未練がましく、悔しがったのでした。せりは悔しかったけれども、こうして地元のかたとお話することが、私の旅の楽しみです。

(2005年2月25日記)