コラム―散歩道

柿の話 

「柿の木もたぬ家もなし」

  麻生内閣は解散もできず、さりとて政治の打開策も出せずの体たらくで、総選挙はのびのび、今年の秋もまた、長野県中の豊かな実りを目で楽しみながら活動をしています。
 「里古りて柿の木持たぬ家もなし」(芭蕉)の俳句のとうり、どこに行っても青空に思いっきり赤い枝を広げた柿の木の景色です。今まで考えたこともありませんでしたが、なぜどのお宅でも植えているのだろう・・との疑問が湧いてきました。

「柿本人麻呂」の時代から

 柿本人麻呂の名前にも使われているくらいだから、万葉の時代にはすでにあったのでしょう。弥生時代の遺跡から種が発見されていますから、歴史は古いのです。 学名は「ディオスピロス・カキ」で、「柿」がそのまま使われているところが驚き。ディオスとはゼウスの神、ピュロスは穀類や果実を現すギリシャ語とのことです。
 つまり、果物の王様、神にささげる貴重品と言う意味でしょうか。原産地は中国とも日本とも言われていますが、甘柿は日本特有のものです。でも、中部地方以北では甘柿は育ちにくく渋柿が多いです。
 考えてみれば、強い木です。環境にも強く北海道以外はどこでも育つし、ほったらかしでも虫もつきにくい。「渋」はよくよく熟すまでは鳥に食べられないようにとの「対策」です。熟したら「どうぞ食べて、種を運んで!」自然は賢くできている。

生活に根ざした果物

 でも、やっぱり、庶民が柿の値打ちを見出したところに一番の要素があるのではないかと思いました。

 先日は飯山市の服部さんから「小さいときは渋柿をつぶして渋を取らされた。お蚕さんを飼うときの紙を強くするためだ」とのお話を聞きました。渋は耐水、補強、防虫の働きがあって、ビニールのない時代、さまざまなところに使われていましたが、長野ではお蚕さんを飼う上でなくてはならないものだったとは、お蚕さんの飼育を観たことのなかった私には「なるほど!」。 意外だったのは、漁網の防水・強度のためにも使われていたこと、柿はくらしに欠かせないものだったのです。

 そして干した柿は、優れた保存食です。武士の大事な保存食のひとつだったとの記録もありました。庶民だって、大いに保存食として飢えをつないだのではなかろうか・・・と想像しました。
 「柿が赤くなると医者が青くなる」と言われるくらい、ビタミンCもたっぷりの滋養がある果物ですから。特に干し柿にすると、渋柿のときと比べて糖度もカロリーもぐっと高くなり、甘柿と比べても4倍以上になるのです。

 生活に根ざした貴重な木だったから、どこのうちでも植えたのだなと思いました。その後は商品としての価値から栽培が盛んに行なわれたのでした。

市田柿の季節に

 飯田市の平沢さんから「地元の90歳過ぎたおばあちゃんが『串刺しの立石柿が天竜川を下りよそへ運ばれた』と言っていたよ」とお聞きしました。調べたら、信州の立石の柿は昔から有名で、祭事に欠かせぬ串柿として、江戸へ輸出されたのです。飯田市の立石寺には、江戸の柿問屋さんが奉納した柿の絵が収めてあるとのことです。柿の問屋さんがあったとは。

 お菓子もない時代、果物の甘さは非常に貴重で大事に扱われ、祭事に使われたのです。そういえば「菓子」の語原は「果子」です。古来からある柑橘、栗などの果物の中でも、ほのかに甘い柿はお菓子の元祖だったのかもしれません。
 はじめは貴族が祭事に使った貴重品の柿に、渋の利用などで見事に日常性の命を吹き込んだ庶民の知恵のたくましさよ。

 飯田・下伊那は市田柿で有名です。立石柿はその前身でした。立石柿は小ぶりで種も多かったので、高森町の下市田が発祥と言われている市田柿が主流になって、今では長野県自慢の全国ブランド品になっています。

 昨年の秋、市田柿の皮をむきながら、平和のブランドの共産党へ入党を決意してくださった方がいました。柿の下伊那に行くと、その時の喜びが昨日のようによみがえります。
 最近の格言は「共産党と国民が赤く燃えると、自民党・公明党は青くなる」

はるかな昔

 柿の料理と言えば「柿なます」、母が作る正月料理の定番でした。数日おいて、干し柿の甘さがとろりとしてきたときが大好きでした。不思議なもので、幼いころからなじんだ料理は、自分もまた作るようになるものです。そして作ってくれた母や、正月の光景も思い出します。
 でも、私の子どもたちは干し柿の甘さが好きでないのか、あまり売れ行きがよくありません。それで、ついつい遠のき、だんだん酢ダコで作るようになりました。でも、長野県中、柿の木を眺めてまわっていたら、「今年は作ってみようかな」という気になってきました。
 売り切れるようにほんのちょっとだけ、そして、また幼いころの郷愁に浸るのもいいのではと・・・。
 「かきに赤い花さく、いつかのあの家・・・」柿って赤い花なの??「垣」だとわかったのは、何年生のときだったか! はるかな昔。

                   (2008年11月4日 記)