コラム―散歩道

同じ時代を生きている子どもたちとともに 

 いよいよ総選挙です。私はこの間、党員、赤旗読者、多くの支持者に支えられながら、長野県中を歩いてきました。北は秋山郷の各部落から、南は売木、根羽村、東は川上村まで、長野県のなんと広いこと。
 どの地でも、農家もご商売をやっている方も、工場経営の中小業者の方も、「子どもにはとても継がせられない」と政治への怒りです。「継がせたいと思っているのは国会議員だけだ」と。
 労働者は「過労死かワーキングプアの選択しかない」と、「この政治なんとしても変えたい」とのエネルギーをたぎらせています。
 切実な声をお聞きするたび、私には同時に子どもたちの悲鳴も聞こえて来るのです。

「こっちみて、おかあさん・・」

 3歳半過ぎて保育園に入所してきたAちゃんは、自分で食事を食べません。家でも保育園でも食べさせてもらうのを待っています。
 「きれい好きのお母さんだから、汚されるのがいやで養っていたのかしら?」「食べる意欲がないなんて・・」
 Aちゃんは乱暴なところがあり思い通りにならないとパニックもおこします。「わがままに育てたのかしら?」と心配する先生たち。

 お母さんと、先生方と、発達相談員の私の3者で懇談してわかりました。
 仕事だけでも精一杯、余裕がない上に、二人目が生まれたお母さん、3歳児の兄が小学生のように大きく見えたと言います。「何でこんなことできないの、と怒ってばっかりいました」
 
 「嫌いなものを口に入れてやったら食べてくれたので、しめた!とそれから養いはじめてしまいました。失敗しました」とうなだれるお母さんでしたが、「いいえ、お母さん、それが良かった。それでAちゃんは救われていたのですよ」と私は言いました。
 
 Aちゃんにとっては、食べさせてもらうときが唯一、お母さんを自分のものにできた時間だったのではないだろうか。「お母さん、こっち向いて」との声が聞こえてくるようでした。
 精一杯の表現、いとおしいではありませんか。
 心が満たされれば、自分で食べることはもちろん、乱暴さもパニックもなくなってくることでしょう。

仕事場が子育ての場

 ご夫婦で経営していたある美容院に行きました。狭い美容室の隅っこにゆりかごに入った赤ちゃんがいました。お母さんは、赤ちゃんが泣くたび「すみません」と言ってあやしにいって、赤ちゃんの口におしゃぶりを入れます。 仕事の合間に、陰の部屋でおっぱいをあげるのだそうです。

 一日中、直接太陽に当たることもないゆりかごの中では、赤ちゃんはさぞ窮屈なことでしょう。それに、髪の毛などのほこりの中にいるのも気になります。

 「保育園に入れたいのですが、保育料が高くて・・。お客も減っているし仕方ないのです」お母さんは切なそうでした。

 小さな食堂でお昼を食べたときのこと。休みなく働くお母さんの背中で眠っている赤ちゃんは、ずれ落ちそうなくらいかしいでいました。2歳くらいのお兄ちゃんは、厨房が遊び場所です。
 「食べ物商売ですから、子どもの夕食の時は忙しくて。かわいそうだけど9時ごろの夕食になってしまいます。3歳になったら保育園にと思っていますが、未満児の保育料は高くて」と言われます。

 スケートが盛んな地域のスポーツ用品店のおじさんのお話を聞きました。「この頃はスピードスケートを選ぶ子はほとんどいません。フィギアが主流です。子どもに聞いたら『競争したくない』そうなんですよ」

子どもの「意見表明権」

 生きる力は、子ども時代、大人にしっかり受け止めてもらうことが土台になって育まれます。「それでいいんだよ」と共感してもらえ、掛け値なしで愛されている実感、これが「ぼくは僕のままでいいんだ。ぼくは生きていていいんだ」との自己肯定感をはぐくむのです。

 大人から、時間も最低限のくらしのお金も奪った政治は、大好きなわが子にゆったり向かいあってあげる権利をも侵害しました。子どもにも激しい競争を強いて、一番大事な自己肯定感をも奪ってきました。

 「子どもの権利条約」を批准した日本に、国連の人権委員会から2度にわたって勧告がきたのにもかかわらず、政府与党は「子どもは健全に育っている」とうそぶいています。
 子どもは「権利条約」で「意見表明権」を認められています。自分で食事を取ることを拒否したことも、ゆりかごでもっと自由に体を動かしたいと泣くことも、夜更かしでぼんやりしている状態も、フィギアを選ぶことも、言葉にならなくても子どもの「意見表明」です。

 政治は大きく変わり始めています。国民が主人公、一人ひとりが主人公の新しい政治へ向かい大きな一歩を踏み出すために、子どもの心をのぞいて「意見表明」を受け止めて、彼らと共に、選挙をたたかい抜く決意です。
いつだったか、街頭からの訴えを立ち止まって聞いていた中学生が「私たちのことを考えてくれる大人がいるとわかって、うれしかった」と伝えてくれた言葉に、私はどんなに励まさせたことか。
子どもたちは、共に同じ時代を生きている仲間です。

                (2008・10・4  記)