コラム―花によせて

花によせて

その13 ムクゲ

 我家の台所の流しの窓はとても大きく切ってある。高さ1メートル20センチ、幅2間分。東向きの窓だから朝日がサンサンと入ってくる。窓の前のムクゲがすっかり葉を落として、日差しをさえぎるものがなくなったからだ。なんとも気持がいい。朝の台所の値打ちだ。
 しかし夏はまぶしくてヨシズが必要だった。過去形なのは、今はほとんどいらなくなったからだ。
 ムクゲは前からあったものではない。実生からどんどん成長して枝を張り、いつの間にか夏には繁った葉が日差しをさえぎってくれるようになった。
 ムクゲは韓国の国花で「無窮花(ムグンファ)」と呼ばれているように、次々と咲く花は秋までロングランだ。その繁殖力もたくましい。特に、白くて中心が真紅の花にはとても惹かれる。白は朝鮮庶民のチョゴリ、真紅は祖国への情熱のようだ。

吉田さんと韓国

 大学生のころ、原水協、平和委員会、日本ベトナム友好協会などの民主団体の雑居部屋でアルバイトしていた。事務所の主は故吉田秀晴さん。一緒に平和運動をしていた夫ともども、貧乏学生のわれわれは助けてもらっていた。
 吉田さんの連れ合いは済州島の生まれ、朝鮮人と結婚することはまかりならんと、吉田さんの父親は日本刀を振りかざしたと言う。当時は「世紀の大恋愛」だった。
 吉田さんはよくイッパイ飲み屋に連れて行ってくれた。ホルモン焼きの煙がもうもうと立ち込めるお店で、「この煙は朝鮮人民の怨念だ」と良く聞かされた。その意味の深さを、その後私はよくよく知ってゆくことになる。

ふるさと宮城と韓国

 韓国は私の故郷にも深い関係があった。
安重根は伊藤博文の暗殺者として知られている。彼が処刑されるまでの特別看守は憲兵の千葉十七氏だったが、千葉氏は宮城県若柳(栗原市)の出身だったのだ。
 千葉氏は次第に安重根の清賢な人格とその思想を崇拝するようになった。韓国では、安重根は伊藤博文暗殺よりも「東洋平和論」を称え平和を探求した人として尊敬されていることを、私は韓国を訪れて知った。
 安は千葉の人間味ある対応に感謝し、処刑の前に「為国献身軍人本分」との墨文字を千葉に渡したが、それが70年後に千葉の子孫によって韓国へ返還され、今は国宝指定になっている。
 千葉の菩提寺の大林寺には記念碑が建てられ、今でも毎年秋には二人の絆を供養して日韓両国民がつどい、交流を深めているという。
 それを教えてくれたのは、韓国で急死した元共産党参議院議員であり歴史研究家でもあった吉岡吉典さんの著書「『韓国併合』100年と日本」だった。吉岡さんが急逝した半年後、私は吉岡さんが倒れた同じ食事処で、感慨深く食事と取った。

 ムクゲがしてくれる日差しの調整は、季節を感じさせる。同時に韓国と日本の交流やアジアの平和に思いをはせる瞬間でもある。尖閣諸島、竹島の領土問題は、政府の思惑で武力に走ってはならない。平和外交へのきっかけにすべきだ。

 吉田さん夫妻は、私と夫の人前結婚の保証人になってくれた人である。

    (2012年11月16日 衆議院解散の日 記)