コラム―花によせて

花によせて

その2  サクラ

 私が卒業した宮城教育大学は、文部省の思惑で教育学部が教員養成大学に再編された時、東北大学の教育学部が分離され新設された大学でした。私はその3期生です。
 まだ学舎が建設途中だったので、しばらくは仙台の三神峯にあった陸軍幼年学校の跡地を仮校舎にしていました。
 三神峯はサクラの名所で、500本の見事なサクラは種類もさまざま、4月の上旬から1ヶ月もの長い間、花を楽しむことができます。
 私はその頃ひどいホームシックにかかっていました。開花の間中、花吹雪の下で、うつむいていました。
 高校時代、私は、受験競争に追い立てられる日々に納得もいかず嫌気もさして、いつしか勉強を放棄していました。
 いよいよ3年生の土壇場、教員になりたいから進学したいが国立しか許されない。しかし成績は、お粗末すぎました。
最悪の事態は、回りがみんな私のことを、「当然、国立に入る優秀な子」!と信じていたことでした。
 私は9月になって、心を決めて本格的に受験勉強に入りました。死にものぐるいの半年間、重圧に打ちのめされながら、プライドを守ることが最大の目的にもなっていたような気がします。
 今になって思えば、合格して気が抜けてこれからの目的も見出せなかったあがきが、ホームシックとなって現れたのでしょう。
 しかし出会った共産党員の先輩の刺激で、受験競争の魂胆を知り、教員の仕事の奥深さを学び、さらに政治の仕組みがもつれた糸がほどけるようにわかってきたとき、目の前が開け、胸が風船のようにプーッと膨らみ、私の人生は一変したのです。
 さて、相談を受けたAちゃんは誰もが受験トップ高にすんなりは入れると思っていた子でしたが、「まさか」の結果になってしまった。それがきっかけで摂食障害を起こしました。成績偏重の価値観が、値打ちの多様性や生き方を見失わされてしまったのだと思う。今、病気と向き合い、ゆっくりと自分探しを始めています。
 Aちゃんの苦しみと私のホームシックには、共通した痛みがある。今年もサクラは私に、うつむいていた当時を思い出させます。受験競争をなくしてどの子も自分らしさが謳歌できるようになったら、入学の4月、サクラも喜んで本当に華やかな花吹雪になってくれることだろうなと、思います。

         (2012年4月15日 記)