2017年の旅

モルダウとスラブ舞曲のチェコとスロバキアへ

結婚は結婚、仕事は仕事

 日本では、若者に仕事がなく、非正規で給料が安く、結婚や子どもを産むことも躊躇する状況がある、とお話したら、チェコでは、「そうは考えないかなあ」とのことでした。
 「給料が少ないから結婚しない、という発想はあまりしない。それはそれ、結婚は結婚。いざとなれば、両親の家で一緒に暮らす、とかんがえるかな。日本人の考え方はとっても真面目なんです」と、日本人ガイドの邦子さんのお話しでした。
 「しかし、その両親が年金が少なくて自分の暮らしもままならないのです」
 うーん。日本の状況の深刻さが伝わり切れなかったかな。
 やはり、楽観的になれる条件として、先日お聞きしたように「仕事はある」こと、また、十分充実しているとは思いませんでしたが、裏付けの福祉制度の違いもあるでしょう。
 でも、国民性としても楽観的な面があるのかなと思いました。
 日本では自立すると親元から離れるのが、今は普通です。仕事が家の近くにないのですからそうならざるを得ない。昔は大家族も多かった。
 チェコでは、家族をとても大事にしていて、一緒に暮らすことは普通なのかもしれません。
邦子さんが結婚してスロバキアに住み始めたころ、日曜日に掃除機をかけてお姑さんに叱られたそうです。日曜日は安息日。草取りをしたり家の掃除をするのは土曜日、日曜日にはたらいいている「嫁」を見たら、「あそこの嫁はなんだ」ということになるのだそうですよ。
 高速道路のサービスエリアのレストランで昼食をとったとき。選んでよそってもらって、会計するというシステムで、「ストップ」と言わないと、山盛りきてしまいます。写真の量を見てください。
 多くても少なくても、一皿いくらで値段は同じ。知っていれば、何人かでシェアしたのに・・・。これはカリフラワーのフライとポテトです。

 プラチスヴァでの私たちのホテル。大統領官邸の真ん前でした。トロリーバス、路面電車が公共交通網です。
 今日は田舎へ移動です。もしかしたら、インターネット環境が悪いかもしれません。これからが旅の醍醐味プログラムだから、お願い、つながって!と思っています。

 プラスチラヴァの街には、ユダヤ人の礼拝堂であるシナゴークもたくさんありましたが、いわゆる「社会主義」の時代に、乱暴にも破壊されました。
 そのほか、ソ連の影響を受けた東欧がみんなそうであったように、歴史ある建造物が破壊されたり放置されたりしました。
 そんな歴史のある街ですが、今回は通過だけ、これからはスロバキアの皆さんのお話を、もっとお聞きできると思います。
 小さい村をいくつか周り、村長さんと懇談や博物館にも行く予定です。
 また、村挙げての歓迎があるようでロマの皆さんの踊りが楽しみ、学校では6年生のクラスとロマクラスを訪問予定です。
 ではタトラ産地に向かって出発です。
 雨は上がっていい天気です。万歳(^◇^)

 今日はこちらは雨もようのようです。

 バスで移動中は合唱の練習かねて、歌声を響かせています。
 「ドナドナ」という歌、ご存知ですよね。

 ?ある晴れたひるさがり 市場へ・・・♪

 ずっと、売られてゆく牛の命を悲しんで歌った歌とばかり思っていました。
 でも、ポーランドのユダヤ人がヒトラーによってガス室へ送られた、そのことを歌った歌なんですよね。

 それから「森へいきましょう」は、元歌は、領主が娘を追い回す歌です。我々が歌っている歌詞は別物ですが、「あらまあー」という感じですね。

 こちら、マロニエが満開,ライラックが咲き始めています。
 今日から田舎へ移動。そこでの3日間が一番お楽しみですが、インターネット環境が心配です。

 旅の仲間12人と、ガイドの邦子さん、添乗員の小久保さん。添乗員の小久保さんが全員集合。

スロバキアに入りました。
こちら、8時過ぎても明るい。サマータイムに入っています。調子が狂います。
首都プラチスラヴァにも、大統領官邸前に大きな広場があります。
ヨーロッパはどこでも、街の中心に広場があります。大事な空間だと思います。
ここから民主主義が生まれるような気がします。
日本大使館。学校訪問の時、子どもたちと一緒に折る折り紙の練習。

 こちらの時間でおはようございます。
 今日はスロバキアに移動します。
 いわゆる「共産主義」から民主化されて、「昔はパンがもっとやすかった。よかった」というお年寄りもいるそうです。
なにが変わって、なにがよくなって、なにがこれからの課題なのか、知りたいところです。
 昨晩は400年前の建物の宿に泊まりました。中世の騎士やお姫様が出てきそうです。
 床もギシギシ、ベッドもギシギシ。
 夕食も中世の家がレストランになっていました。

       (2017年5月21日  記)