2日目 5月17日 キューバの医療政策を学ぶ

 デイケアセンターとラテンメリカ医科大学の視察をしました。
 元ベルン教会跡につくられたという広い敷地のデイケアセンターは、同じ建物に保育園もあり、眼鏡制作室もありました。眼鏡制作室では、施設内だけではなく、誰もが無料で眼鏡を作ってもらえるとのことでした。

★まずデイケアセンターに。陽気なお年寄り

 ここに通っている皆さんは、日本のデイケアに通っている方たちとは全くイメージが違います。「高令者の学校」と呼ばれていました。介護保険で審査に通った人だけが通うようなところではありませんでした。おひとりで寂しい方は誰でも通える「学校」でした。さまざまな講義も受けるんだそうです。
 皆さん、おしゃれで元気はつらつです。
 私たちがお礼に「手のひらを太陽に」を歌ったら、すぐに一緒に踊りだしました。

 今度は自分たちで「♬ガンラメラ」を歌いだしました。
 それがなんと、歌の前半を、次々とバトンタッチして独唱するのです。その声の素晴らしいことと言ったら!!びっくり仰天!!感動しました。

 ソロで歌っている方です。
 ソロが終わると、全員が「♬ ガンタラメ~ラ ♪」とサビの部分をみんなで歌います。そのはつらつとした笑顔と声!!
 皆さん、陽気で、すぐお友達になれました。
 キューバではお年寄りは「家族と一緒が一番幸せ」との考え方で、自宅にいるのが基本でした。自宅介護が必要な時は国が援助すると言っていましたが、その実態は今日はわかりませんでした。

★保育園で

 保育園では子こどもたちが元気で飛び回っていました。入所の条件は父母が働いていること、これは日本と同じ。ところにより月200円の食費をとるところもあるが、基本はもちろん無料。保育士の担当人数の基準は、2~3才児は6対1、4~5才児に至っては4対1だというのです。
 これには驚きました。日本は30対1ですからね。
 ただ、環境のせいもあるのか、「外へは出しません。階段も親の責任です」とのことでしたが、ここは、ここで働く人のための院内保育園だからだからのようです。狭くて、そう良い環境とは言えませんでした。
 他園は違うようで、外へも連れ出し散歩もするとのこと。ここの子は外へも行けなくてかわいそうだなと思いました。保育内容については、よくわかりませんでしたね。
 「日本は、4才児5才児は30対1です」と言ったら、保育士さんは驚きを隠しませんでした。反対に「とてもやっていけません。なぜそんなことができるのですか!」と聞かれました。お金持ち日本が、なんて恥ずかしいことだろう。とても先進国だなんて言えない。
 発達途上国であるのにこの保育士配置の基準は、政治の基本は国民を大事にすること、暮らし優先だということの表れだなと思いました。
 男性も育児休暇が得られるとのことでした。

★ラテンアメリカ医科大学で

 大学の視察の許可を得るには、ちょっと苦労しました。
 キューバでは観光ならいいが勉強となると、国営の施設の視察に行くには国の許可がいるとのこと。アピールするために、大使館に夫の学会論文を送ったりもしました。


 大変広大な土地に医科大学はありました。もともとは海軍施設でしたが、カストロのアイデアで医科大学にしたそうです。大きなハリケーンの被害がきっかけで、医療スタッフの養成のため開設され、19年目です。

 細菌学の教授が案内、説明してくれました。

 国際主義の立場で、外国の学生の養成を目的としています。
 1999年には1500人から1800人の学生を受け入れていました
 もちろん、貧しい国で学びたくても医学の勉強ができない学生への援助で、医師に育てて自国に帰します。
 カストロ時代は全額キューバが学費、生活費の負担をしていましたが、財政難でだんだん縮小傾向にあり、現在は350人の受け入れとのこと。しかし、人数は少なくなっているが、受け入れ国は増えており現在82カ国から若者が来ています。少し前は、読んだ本によると30か国ほどでしたね。
 財政援助もキューバだけの支援ではなく、キューバと友好関係にある政府や団体等が負担をしてくれるようになっているそうです。
 授業はすべてスペイン語、スペイン語が話せることが条件です。だから入学後2年間はスペイン語の学習、そこで、落とされる学生もいるとのことでした。


(南アフリカの国費で来ているという女子医学生)

 キューバの医療の最先端は、ハード面で遅れていると教授は言っていました。しかし、薬では自国の原料で非常に素晴らしい物を作りだしています。アメリカの経済封鎖で世界に知られることがなかったのですが、インターフェロンは世界一生産していたと言います。
 基本的にここで2年間学び、3年目からは現場で地区医療センターに所属し地域のファミリードクターの診療所で住民の中に入りながら並行して勉強も続けるという、現場主義をとっています。現場主義はカストロの考え方だそうです。これは非常に重要な観点だと思いました。

 大雑把なキューバの医療システムを話しておきますね。病院を頂点に三角形、地区医療センター、その下にファミリードクターの診療所があります。一つの地区センターに25ほどのファミリードクターがおり、ファミリードクターの診療所は、一か所300人程度の住民の健康管理をしているのです。

 医科大学では、全員内科医としての資格で卒業します。
 「医療人として大事なのは、人間としての役割だ」とドクターは言い切りましたが、当たり前のことながら、当たり前でもないのが現実です。日本の場合は、医師になりたい理由に、収入とかとか社会的地位も頭をかすめて選択することもあると思いますが、キューバの若者は、そうではなかった。
 医師になっても、給料で優遇されているわけではないからです。そしてカリキュラムには、日本流で言えば「赤ひげ」のなれとの倫理観や使命観の学習がしっかり位置づけられています。
ちょうど授業をしている教室をのぞきました。「災害時の対応」を学んでいました。
 内科医からスペシャリストになるには、もう一段上のランクですね。

 医科大学の卒業生から、厚生労働大臣や議員も生まれており、人材派遣の役割も果たしている。などの説明がされました。教授の話からは、キューバがこの大学を開設している誇りと、ラテンアメリカは一つだとの強い思いが感じられました。

 ピラミッド型の医療制度の全貌は、明日の、ファミリードクターの診療所見学で、一層明らかになると思います。

 「国際主義はチェ・ゲバラの影響があるのですか」との質問に「その通りです」と。
 「医療は必要とされている人に供給されるものです」との言葉には感動しました。当たり前のことですが、日本ではとてもそうなっていない現実ですから、実践を伴うこの言葉には、とても重みがあります。
 キューバ革命の誇るべき大きな発展の面でしょう。
 ラテンアメリカはもとより世界を視野に入れた医療活動は、まねのできない素晴らしい実践です。アメリカの学生さえ受け入れています。

 映画「シッコ」では、外国人でも無料で治療するキューバが画かれていましたが、現在は国外の患者には負担があるそうです。

 夜はヘミングウエイが通ったというレストランで音楽の演奏をバックに食事し、ホテルに戻ってまたロビーのバーで飲んで踊ってしまった。カリビアンリズムは心を狂わせてしまう。
 昼も夜も毎食時は、様々な音楽グループがやってきて、カリビアンのリズムで会場が盛り上がるのです。

 そこで、彼らはCDを売るのです。いちいち買っていたら、大変な量になってしまう!たくさんの楽団が食べていくには大変だろうなとも思いましたが、昨晩はすっかり乗ってしまってCDも買って、楽しいひと時でした。
「ああ、こんなことをしていたのでは1週間持たない。自重しよう」(´・ω・`)