中国へ―平和と友好の旅

旅の終わりに

 新しい中国の噴出すエネルギーを感じ取った中関村をあとにして、北京空港へと向かった。十三日から十八日までの六日間の「平和と友好の旅」が、感慨深く終わろうとしている。

平和と民主主義のために

 アジア政党国際会議での北京宣言に凝縮された、広大なアジア大陸の国々の団結、さらにはアメリカの圧力を撥ね退けたラテンアメリカの国々の変化は、二十一世紀の希望ある世界の未来を示してくれている。日本もこの世界の平和勢力とともに、進む時、何よりも、「九条」を持っている国として、果たす役割は大きい。

 共産党は、侵略戦争に不屈に戦った。だから今、アジアを初め世界中のみなさんは「あの侵略戦争に反対した党」として共産党に信頼をおき、友好関係を築く野党外交の試金石になっている。

 外交における日本共産党の存在の値打ちを、私は中国に来たことで深く認識できた。外から日本を見る、これは必要で重要なことだと、外に出て初めて体で解った。これからのグローバルな時代を生きてゆく若者には、チャンスがあれば積極的に「日本列島」から出て、見聞を広めて欲しいと思った。

 そしてこの旅を通して、私は何度も「不屈」という言葉をかみしめた。博物館、記念館の見学も、証言してくれた楊さんや出会えたすべての方との出会いも、すべてがあの恐ろしかった絶対主義天皇制と立ち向かう作業であった。

 その暗黒の時代に、あくことなく真実を求め続け、国民の苦難を背負い、命を投げ出してもいとわない生き方をした先人の純粋さが、身につけた肌着のようにぴったりと私にせまり、「不屈」という今までも何回も使ってきた言葉が、これまでと質的に違うものになったとずっしりと感じるようになっていた。

 日本の侵した罪に苦しみながらも、胸を張って中国人民と対面し友好の交流をした私の胸いっぱいに、日本共産党の一員としての誇りがあふれていた。

 中国では、見学した博物館、記念館などの歴史の事実の記録、そして生き証人の証言を学ぶことは、平和友好の教育として高く位置づけられていたが、これから国際社会で、ことにアジアの一員として生きてゆく日本の若者や子どもたちもしっかり学ばなければならないことである。

 あの歴史を知ることなしに、本当の「親友」になることは出来ない。歴史教科書の改ざんは、人類の歴史への冒涜であり、許されざる行為である。

またいつか

 中国は日本とは切っても切れない深い関係のある国、機会があったら、また中国大陸へ渡ってみたい。中国の古い歴史をたどり、日本の文化のルーツを探る旅も魅力的だ。

 その時は、「九条の会中心に平和を守る国民運動が大きくなって、もはや戦争勢力は勝手が出来ない」とのお土産を、中国で知り合ったあの人この人にわたせたら・・・と考えると戦いがまた楽しくなってくる。

(二〇〇四年十月十三日〜十八日の旅・十二月一日かきおろし)