中国へ―平和と友好の旅

二日目の北京

バスの中で漢字の勉強

 北京での二日目の最初の見学地は「盧溝橋」、ついで盧溝橋事件にちなんでそのほとりに建てられた「中国人民抗日戦争記念館」に行った。北京ではビッグなお二人とご一緒になる。

 ひとりはN日本企業北京駐在員のSさん、夕べ北京に着いた時に出迎えてくださり、この日朝からご一緒した。小林市会議員の親戚で、初対面のかた。そしてもうひとりは赤旗特派員の小寺松雄さん、途中から仲間に加わった。小寺さんとお会いするのももちろん初めてで、中国事情を教えていただけると期待をしていた。小寺さんの紹介は次回にまわすことにして、バスの中で、数年間中国に滞在しているSさんの隣の席に座って、Sさんに教えていただいた漢字の話を少し。

 中国は日本と同じく漢字を使う民族だから、看板を見れば内容のおおよそが想像できることも多い。こんな関係にある国は世界中で他にはないのだから、同胞意識を感じ親しみがわいてくる。

 しかし、この頃の中国では簡略字が多くなっているので、意味が通じないことが結構あった。一九四五年以来、つまり戦後二回にわたり簡略字を作って認められたが、さすがに三回目は反対が多くて通らなかったという。

 このパソコンでは変換が出来ないので、上手に紹介できないが、例えば、「関」は門構えをとって中だけなので、高速道路のゲートの意味がとっさには解らなかった。「関所」のイメージが浮かばなかったのだ。また、「術」は行構えを取って真ん中のみを残してある。「愛」は、「心」をとって、つめ冠の中に「友」をいれてある。通訳の湯さんが「心がない愛なんてね」と、私が考えていたことと同じことを言っていたので、彼はあんまり簡単にしすぎることには反対なのかもしれない。

 看板の解らないものを見つけてはSさんに聞く。Sさんも「あれは何だと思いますか。」と教えてくれ、楽しかった。反対もあるのだろうが、簡略字にすることで、文字の読み書きが出来ない人を無くし学力をつけ文化を高めようとの試みだろうから、きっと成果を挙げているのだろうと思った。

 日本の教育はと言えば、学習指導要領では漢字の教える順序が科学的でないことや、国語の時間数が少なくなっていることで意味もわからぬまま形だけ詰め込んだりするから、子どもにとって漢字を覚えるのは容易なことではなくなってきている。おまけにパソコンばかり使っていると、大人だって漢字を忘れてしまうのだから、困ったものだ。

盧溝橋と中国人民抗日記念館

盧溝橋にて

 盧溝橋は氷定河にかかる橋、マルコ・ポーロが誉めたたえただけあって、緑がかった大理石の美しい橋だったが、傷みを防ぐためか、柵がまわしてあって欄干には触れないようになっていた。

 盧溝橋は全面的な侵略戦争に入ったと同時に、中国人民にとっては国を挙げて抗日戦争にたちあがった、記念すべき場所である。この日も、たくさんの観光客でいっぱいだった。軍服姿の若者の一団もいた。

 ここはさっと見て、すぐそばにある「中国人民抗日戦争記念館」に移動した。

 「中国人民抗日記念館」は、一九八七年に創設され、一九三一年の「柳条湖事件」から、一九四五年八月の日本の降伏までの期間の歴史の事実と中国人民の抗日の戦いの記録が展示されている。「七三一部隊記念館」、「平頂山」、「九・一八博物館」でも見てきたことではあるが、何度でもそのたび日本軍の残虐な行為の写真の前では、声が出なくなってしまうほどの衝撃を受ける。

 日本人向けの小さなパンフレットには、日本軍が行った蛮行が解説されており、「河北省では殺害した女性の肉で餃子を作った・・」の記述には気分が悪くなってしまったが、展示物の説明とともに、最初のページにも、最後のページにも繰り返し次の言葉が記してあったので、救われる思いだった。

 「抗日記念館は、中国の青少年の歴史教育基地です。二度と戦争を起こしてはならないという歴史の教訓を学ぶ場です。このことは、日中友好、永遠の日中平和の礎(いしずえ)として、中日両国人民の歴史の鏡として大事にしていきたいものです。」

「憲法九条」の展示に感激

 そして驚いたことには、一九七二年の日中国交正常化の写真とともに、日本の憲法九条の条文が拡大され展示されていたのだ。「日本が制定した新憲法」との説明があった。

 感激だった。一九九七年から展示しているという。「このすばらしい憲法を無くすなんて、小泉は!」と湯さんが激しく怒っていた。

 今、サンチィアゴで首脳会談が開催されているが、中国の胡錦濤国家主席が小泉首相に、当然のことをはっきりと要求した。「靖国神社への参拝はやめて欲しい」ということである。小泉首相は、中国人民を怒らせ、世界中の人の日本への信頼をさらに無くすことになる返事をした。

「不戦の誓いのために参拝している」と言ったのだ!恥知らず!

 「パーマ」をかけた副館長さんとは、短時間の懇談であったが、この春大学を卒業したばかりという新人の青年通訳が、副館長さんの応援をもらいながら、私たちと中国人民を平和の糸でつないでくれた。