中国へ―平和と友好の旅

「松花江上」の歌

予定の変更

9・18事変記念館

 瀋陽での最後の見学場所だった「九・一八事変記念館」と、次の日、北京で見学した「抗日戦争記念館」、この二つが後半のメインの戦跡見学地だった。ハルピンから始まって、毎日戦争の傷跡と付き合ってきたから、四日もたつと気持ちの上でも疲れ気味になってきて当然かもしれない。毎日「日本人」であることを意識せざるを得ないのだから。

 だから、「抗日戦争記念館」は短縮して、予定になかった「故宮」を組み込むことになった。抗日記念会館も少し惜しかったが、北京に来て「故宮」に行かないのも残念だと思っていたから、私も予定変更に賛成した。万里の長城のほかに故宮も見学できることになって、楽しみの多い後半となった。

「勿忘国恥」

 さて、「九・一八事変博物館」は、日本軍が中国東北部全面侵略のきっかけを作るために、自ら満鉄を爆破させた柳条湖事件の六十周年を記念して建てられた。この記念館は、柳条湖の爆発現場の線路脇近くにあって、敷地内には関東軍が建てた巨大な記念碑が横たわっていた。

 この碑は高さ二・七bもあって、敗戦直前に、日本軍が逃げる前に自ら倒していった、その時のままの状態になっている。今は歴史の証拠物として、瀋陽市指定の重要文化財(重点文物保護単位)になっている。倒れた碑のある場所に博物館を建てたところに、中国人民の「侵略者を追い出した」誇りを、私は感じた。

 「日本はどうして反省しないのでしょう。日本政府が侵略したことをねじ曲げても、私たちは決して忘れない。愛国教育の一環で、小学生もたくさん見学にきます。」湯さんの抗議を込めた激しい口調も手伝って、会場に入ってすぐにあった「勿忘国恥」の文字は私の目に焼きついた。

 記念館には、一八九八年の旅順攻略以来の日本の天皇制政府が進めた侵略の歴史が語られている。「愛国主義教育重点基地」は全国百箇所あって、ここはその一つになっているという。歴史をきちんと学ぶことを位置づけている中国や韓国などのアジアの国々と比べて、日本はなんと恥ずかしいことをしているのだろう。

 自国に誇りをもてる人は、他国が歴史や社会体制や宗教・文化の違いのあっても、それを認め尊重し、お互いが平和に暮らせる関係を求めてやまないはずである。日本政府が今、教育基本法を改悪し、新たに位置づけようとしている「愛国心」は排他的で侵略性を持っている。

 愛国心は押し付けるものではない。歴史の真実をきちんと学べば、おのずと「愛」は育つものだ。
事実を学ばせないように教科書まで改ざんすることは、一人日本の問題だけではない。人類史への冒涜である。

 あの戦争で犠牲になった人の命を、また戦争を必死で生き抜いていた人の人生を、虫けらのようにはき捨てる許しがたい行為である。

松花江上の歌

 日本に侵略に抵抗し、故郷を後にして抗日戦線に入った青年をはじめ多くの人々に歌われ広がり、抗日の勇気と連帯を作っていった歌、「松花江上」の歌詞と楽譜が展示されていた。

 中国人民の、故郷や祖国への想い、侵略者への怒りが切々と歌われていた。全文を覚えることができなくて残念に思っていたところ、帰国してから読んだ井出孫六さんの「終わりなき旅」(岩波文庫)に載っていたので、この発見は嬉しかった。それを使わせていただき、紹介させていただきたい。松花江は東北地方を流れる最大の川である。

とうとう流るる松花江
楽しい故郷香り高き野の幸豊か
とうとう流るる松花江
楽しい故郷老いし父母住む我が家
九・一八、九・一八、のろわれかの日よ
九・一八、九・一八、忘られぬその日よ
故郷はなれて無限宝庫をすて
幾年さまようことぞ
ああ何時の日帰れることやら
何時また会える故郷の山々
恋し父母何時の日めぐりあうやら
長白黒竜いざさらば
流れのがれてあてなく
さまよい続く幾年月
我らの祖国踏みにじられ
我ら身を休めるところなし
ああ故郷よああ父母よ
楽園いま影なく
我らみな涙にむせぶ
嘆くのをやめよ敵の砲火に
仲間みな傷つき倒されたのだ

 この詩を読むだけで十分、「九・一八記念館」を見学した価値はあった。博物館の展示品の前に掲げられていた「歴史をしっかり記憶し、後の世代に警鐘をならそう」の言葉を深くこころに刻みこんだ。